絵画教室アトリエ・サガン(東京・渋谷区恵比寿)は、油絵・水彩・デッサン・人物絵画(ヌード・コスチューム)の絵画教室です
絵画教室 アトリエサガン/サカイクラス

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 講師気持ちを入れ替えて、なんと二度も美術館に行きました。写真は、その後の一杯ばかりですみません。

2008年12月20日 「山口薫展と忘年会」




 20日の土曜日、世田谷美術館で開催されている「山口薫展」を見に行って、そのまま忘年会という企画をたてましたら、18人の参加がありました。その忘年会は、中華のランチタイム(安い)にあわせたので、朝早くから皆さんご苦労さま。
 山口薫の作品は、具体的なモチーフがあって、それを半抽象化しています。僕好みの作家で、この機会に皆さんに紹介できてよかった。それほど難解ではなくて、適度に各々のイメージを刺激し、趣味の良いセンス、絵画教室に通う方は是非見るべきだ。
 このような生涯の作品を展示するときに、だいたいスケッチやメモが並べられている。それらは、ほっとしたり、考えさせられたり、納得したりすることが多い。今回もアイディアスケッチに色や明るく、もっと明るくなどとメモされていた。さらに、何ヶ所かに厚塗りと書き加えられている。そうなんだ、構想段階から画面の質を考えて構成していることがわかる。
 成り行きで厚塗りになることが多い皆さんは、こういう展示物に自らをヒットされなければならない。絵は近づいて、離れて、また近づいてとボクサーのように見ること。そこで発見があれば良い作品ということ。
 ショーケースにいれた作品は、展示企画者の見せ所。じっくり見て、何にスポットを当てているかを感じること。作者と学芸員と自分のトライアングルでつながれば良い展覧会なのだろう。
 ともあれ、今年2回もクラスで展覧会に行けたことはいいこと。来年も行きたくなる展覧会があればいいのだけれど・・・。そこで、また一杯やれればさらにいい。

(ブログより)
http://blog.a-sagan.com/index.php?blogid=4938&archive=2008-12-22





























2008年6月30日 
「エミリー・ウングレー展」「アール・ブリュット -交差する魂-」




 一昨日の土曜日、クラス企画として、新美術館の「エミリー・ウングレー展」と松下ミュージアムの「アール・ブリュット -交差する魂-」を見てきました。この写真は、最後のビアホールまで参加した方々の記念撮影です。有意義な一日にありがとう。
 どちらの展覧会も、美術学校に通い、デッサンの勉強をしたわけではない作家の作品です。サガンに通う会員も同様と考えるのは僕だけ? 参加したメンバーにはいまいち考えが伝わらない事もあろうと、整理してみよう。
 今回の展覧会鑑賞テーマは、「絵画技術が未熟と嘆く前に、このシツコイ繰り返しを見習え」です。ひとつに、皆さんがスゴイと感心する、形をとる合理主義にのっとった描写があります。それに対して形の簡略化、もしくは形がない描写というのもあります。その後者こそが、サガン会員が本来興味の元とすべきことと考えています。
 たとえば松下のものは、障害者の冠をとって、普通の展覧会としてもなんの問題がないほど完成された作品だったし、身の毛が立つほどの緊張感、もうゾクゾクしちゃう。
 というのは、作家というのは勉強するよね。障害者の作品のパワーだって、まねして自分の物にしていきます。そして、新美術館のものは「未開地・土着アート」いままで、生きてきた環境とは180度違うのだから、そりゃビックリ、作家はいただきーとマネするんです。
 自分の世界といっても、ほとんどはマネからスタートと言って間違いない。エミリー・ウングレーは1987年から10数年の制作、80歳から始めて3000点。スゴイんだけれど、見ててだいたいが60~70年代のアメリカンアートを彷彿させる。
 タイムマシン?時代が逆を行っている? 僕の想像では、欧米列強の美術館が辺境の土地の作品(プリミティブアートとして)を大々的に収集していて、作家は当然見る機会があり、自分のものにしていく。今回の展覧会はそのオリジナルに接した感じがした。
 何度もフェルメールを見に行くのもいいだろう。でも、僕はミケランジェロの壁画が洗浄されて出てきた極彩色の色に思い寄せる。古典ってなんのことだろう? 作り手が求めることは、いつも違和感との出会いじゃないか!

(ブログより)
http://blog.a-sagan.com/index.php?blogid=4938&archive=2008-6-30