Atelier Sagan
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"サガン特派員" 関朋子さんから、NYあれこれ通信です。




2006年4月 すっかりご無沙汰しました



<写真:サガンの原田和香さんとブルーノートの前で>

  すっかりご無沙汰してしまいました。2006年も4月に入り、NYは長い冬を抜けて、すっかり春が訪れました。サガンの原田和香さんがNYを訪問され、ご一緒にブルーノートにジャズを聴きに行きましたので、まずはその写真から。

 ASL(アート・ステューデンツ・リーグ)の油絵のクラスとともに、NYAA(ニューヨーク・アカデミー・オブ・アート)で彫刻のクラスをとっていることは、以前、お話ししましたね。今回は、この彫刻のクラスのクラスメートのお話をしたいと思います。個性的なメンバーばかりで、彼らの中にいると、「ああ、NYにいるんだなぁ。」といつも思うのです。このクラスは、夕方に開催される夏学期を除いては、いつも、土曜日の午前中に開かれています。クラスのあと、いつも有志で、学校の前にあるバーで一緒にお昼を食べています。




<写真:今更ですが、せっかく撮りましたので・・・2月のNYの大雪!>

  去年の春、いつものバーに向かうと、テーブルに花が飾られていました。クラスメートのジェームズの婚約を祝うサプライズ・パーティーだったのです。ジェームズは、アフリカ系アメリカ人で、大学で美術史を教えているDr.ですが、そこに現れた彼の伴侶は、トム・クルーズから“体育会系”を差し引いたようなフランス人の男性でした。「まったく彼は時間にルーズで困っちゃうよ。フランス人だからね。」なんて、ジェームズが、パートナーのエマニュエルを語る口調は、ちょうどおっここちょいの奥さんのことを語るご主人のようで、そうすると他の皆が、「そうだね、フランス人だもんね。」なんて相づちをうったりして、「フランス人=マイペース」ということがアメリカ人のフランス人観なんだなあ、という発見もまた、私にはちょっと面白くもあったのですけれど・・・。同性同士の国際結婚は、法的な裏づけがないので観光ビザで行き来しなければならず、大変だと思います。ちなみに、ジェームズの書いた「Homosexuality in Art」という本は、古今東西の美術品の写真が満載で、美しい一冊の画集でもある学術書ですが、同時に人間の歴史はゲイの歴史でもあるのね、という・・・本です。紀伊国屋書店のオンライン
( HYPERLINK "http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/1859958656.html" http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/1859958656.html)
では、まだ在庫があるようですので、ご興味があればぜひどうぞ。



<写真:春のブライアント・パークの夕暮れ>

  クラスメートのスーザンは、アッパーイーストに住む人材紹介会社の社長さん。ドリーは、高校の美術の先生。デビッドは整形外科のドクターで、ニュージャージーに7つもベッドルームがあるプール付の家に住んでいます。そして、カールは、ファニチャー・デコレーションを仕事にしています。でも、彼に言わせると、「画家」が本業で、ファニチャー・デコレーションは副業とのこと。でもその「副業」にリッチな顧客が何人もいて、パートナーの男性とブルックリンの一軒家に住んでいます。学期末や、サンクスギビングなどの折に何度か彼の家のパーティーに呼ばれましたが、彼の家は、3階建て、地下室付の古い建物で、最上階は彼のアトリエ。暖炉のある室内は彼のセンスで重厚で落ち着いた、かつモダンなインテリアで飾られていて、インテリア雑誌から抜け出してきたようで素敵なのです。



<写真:「Macy’s」フラワー・ショウ。店内が生花で飾られました>

  さて、以上がクラスの主な常連さんですが、皆ジョークが大好きな個性的かつ暖かなキャラクターで、この仲間と一緒に彫刻をするのはとても楽しいし、またこのようなアットホームな雰囲気は、ASL(アート・ステューデンツ・リーグ)にはないものです。ASLでは時として、クラスがぎすぎすした感じにもなりがちなんです。モデルさんがよく見えなかったり、とか、他の人の絵のしまい方が気に入らなかったり、とか、クラスのなかで誰かがたてた音がうるさかったり、など、文句をいう人は臆せず文句を言うし、それに対して、時には、負けないように自分を主張しなくてはいけません。でも、きっとそれがNYでは普通のことで、NYAAの彫刻のクラスのほうが珍しいことなのだと思います。「個性的な仲間」と書きましたが、彼らにとっては、英語がカタコトなのに当たり前のように仲間に加わってる「朋子」も、クラスを個性的に彩っている一人なんでしょう。



<写真:MOMAムンク展>

  さて、美術のお話です。
いま、MOMAでムンク展が開かれています。ムンクを見て「いいなあ」と思うのは、彼にしか描けないものを彼にしか描けない方法で描いている、ということです。筆のタッチもそう。色の使い方もそう。でも誰かがそれを真似しても、決して彼の絵にはならない。単なる、イミテーションにしかなりません。優れた芸術作品は、みなそうでしょうけれど。
いつも思うことですが、「素晴らしいなあ」と思う作品に対しては、同時に、そのアーティストの「勇気」にも感動しちゃうんです。思うとおりに描く勇気、っていうのかな。私はアート・ステューデント・リーグでモデルさんを前に、毎日絵を描いていて1年になりますが、教室の中ではどうしても、「似せること」「うまく描くこと」に関心がいってしまい、絵としてはつまらなくなってきてるのではないか、なんていう危惧を最近、覚えているのです。大胆なことをする勇気。きっと、教室では先生から叱られてしまうかもしれないけれど、それでも、自分で考えて自分で「美しい」と思うように、自由に描く勇気。・・・そういうものを、毎日、絵を描いていると、なんだか失ってしまってゆくような気持ちがしています。まだまだ技術だって未熟なくせに、先走りの危惧かもしれませんけど・・・。


<写真・ノイエギャラリーのカフェ「サバルスキー」>

  今年の2月まで、ノイエ・ギャラリー(Neue Gallery ホームページ: HYPERLINK "http://www.neuegalerie.org/neuemain.html" http://www.neuegalerie.org/neuemain.html)という美術館で、エゴン・シーレ展が開催されていました。世紀末美術は、デコラティブな耽美的な美術だという先入観があって、特に興味を持っていなかったエゴン・シーレでしたが、直に見る彼の絵は衝撃的でした。やはり、「自分の思うとおりに描いている」というその勇気について。そして、その勇気の結果、生み出された作品の美しさについて。・・・「天才」と一言で言ってしまうのは簡単だけれど、生まれながらの才能というものを(その勇気も含めて)感じました。
さて、ノイエ・ギャラリーは、館内のカフェ「サバルスキー」もお勧めです。ここは、正統派のウインナーコーヒーがいただけるお店で、私はりんごのお菓子「apple strudel」が大好きです。

<写真:パリより>
さて、3月末から4月にかけて、春休みをとって、パリへ旅行してきました。「ピカソ美術館」「ギュスターブ・モロー」美術館がとても良かったです。最後は「凱旋門」の写真でお別れです。


2005年 初夏号




<初夏のセントラルパーク>

 NYは蒸し暑い夏を迎えています。 NYUの英語クラスの夏学期の先生フィリップが、ジョン・マルコビッチ+アトリエ・サガンのサカイ先生、みたいな人でしたので、クラスにでるたびに、「NY通信を書こう!」と思ってました。でもこのクラスも6月半ばで無事終了!・・・では、「2005年初夏号」によろしくお付き合いくださいね。



<メアリー・ベスのスタジオ訪問1:スタジオ風景>

 6月から、アートステューデント・リーグの夏学期が始まりました。5月から、午前中にメアリー・ベス・マッケンジー先生(Mary Beth McKenzie)のクラスをとり始め、午前中はメアリー・ベス、午後はコーネリア、そしてそして週3回のNYUの英語のクラス、と大忙しでした。コーネリア先生のクラスは夏期は休講なので、6月からメアリー・ベスクラスに専念です。

  メアリー・ベスは、デッサン力の正確な先生で、シャープな描線の印象的なとても力強い人物画を描かれます。先生の作品16点がメトロポリタン美術館のコレクションになっています。・・きっとこれはすごいことなんですよね。
(http://www.marybethmckenzie.com/をご参照下さい。)

さて、私がまだ彼女のクラスで学び始めてすぐ、彼女のオープン・スタジオがありました。以下、彼女のスタジオ訪問レポートです。




<メアリー・ベスのスタジオ訪問2:皆で乾杯!> 

 天井の高いアパートの中のスタジオには、畳二畳分もあるような大きなキャンパスに描かれた大作がたくさんありました。メアリー・ベスは人物のキャラクターをつかむのがとても上手で、彼女の描かれる人物からは、彼らの喜びや悩みなども読み取れるようです。うまいなぁ・・!

  正直なことを言うと、その鋭い筆のタッチがちょっと技巧に走っているように感じられて、その力強さが空回りしているときもあるような気もします。でも、彼女のように描け、と言われたら、私にはまだまだ、長い長―い道のりです。(当たり前ですね!)

  必ずしもゴージャスな大作ではないのに、不思議と目を奪われて、好きだなぁ、と思う絵があって、そういう絵のモデルさんについて尋ねると、先生の娘さん(幼いころの)だったり、先生のご主人だったり・・・。

  不思議なもので、「モデルさんを対象として見るクールな眼差し」プラス「α」が、そういう絵にはある気がします。うまく説明するのは難しいけれど、絵というのはそういう「α」が大切なのだなあ、と、彼女のスタジオで改めて思いました。彼女の絵に、皆でワインで乾杯しました。






<メアリー・ベスのスタジオ訪問3:私の好きな先生の娘さんの絵>

  さて、まずアート・ステューデンツ・リーグクラスにいて最近感じていることなんですけど、「どうだぁ!うまいでしょ!」と描いた絵は、下品な匂いがぷんぷんするなあ、ということです。本当にすごい人は、とっても謙虚に淡々と描いてます。もちろん、その顔はいい絵が描けてる喜びに輝いてるわけなんですけど・・・。

  モデルさんに対しての(静物だって、風景画だってそうでしょう)まじめで謙虚な姿勢が大切だなぁとこのごろつくづく思います。コーネリアがよく、「Donユt Pretend!」とおっしゃってました。「わかったふり」で描くな、ということなんですけど、きっとそれは本当で、対象を良く知ってるつもりで、たかをくくって描いたらいけない、ということなんです。たとえば、人物の肌や洋服の凹凸を全部正確に描く必要はまったくないのだけれど(写真じゃないんですから!)細かいところを省いて一本の線を引くとして、“こんな感じだろう”、となんとなーく引いてしまった線と、よく観て自分で感じて、その上で細かいところを省いて引いた線とでは、まったく違うように思います。

  以前は、絵を描くのが楽しいので、たぶんあんまり考えずどんどん描いていたと思うのですが、このごろは、もうちょっと、慎重になって、モデルさんを観察する時間が増えているような気がします。

  モデルさんから発見することは沢山あるから・・・。なーんてね。なんだか、俳句をよむ人みたいなこと言ってますね!でも、かといって、びくびく、こわごわ描いた絵はまったく面白くないので、難しいですね。




<ブルックリン美術館>

 6月5日まで、ブルックリン美術館(The Brooklyn Museum)でバスキア(JEAN MICHEL BASQUIA)展が開かれていました。

  バスキア(1960_1988)はブルックリン出身のアーティストで、若干27歳でドラック中毒で亡くなりました。彼の絵は、一言で言ってしまうならば、ブルックリンの壁に描かれているグラフィティなのですが、実際に肉眼で見ると、圧倒的なエネルギーがあって、その思い切りのよいダイナミックなパワーはたぶん、印刷写真からは感じられない彼の絵の魅力でしょう。彼は貧しかったため、初めはキャンバスが買えず、彼は木の板やドアの扉や・・・いろいろなものに絵を描きました。彼の絵を見ていると、「描きたくて描きたくてたまらない」感じがとってもよく伝わってきます。

  大きなキャンバスに好きなように描ける境遇になっても、彼の「描きたい」エネルギーは失われず、作品からは彼の、描く喜びが伝わってくるみたいです。もっとも、彼自身によると、彼の絵は多くの怒りを内包しているそうなのですけれど(たとえば、人種的差別に対しての怒り)、やはり私には、「絵を描く喜び」が彼の絵の最も大きな特徴のように思えてなりません。私は、彼の絵からは、「怒り」というようなネガティブなものよりも、「描く喜び」プラス自分の成功、自分の若さ、自分のエネルギーに対する賛歌、・・・そういったポジティブなものを感じます。

  でも、そのキャリアの後半、たぶんドラッグの過摂取(と、もしかしたら急にもたらされた大きな成功)によって彼は創作のエネルギーを失ってゆき、自分自身の絵の模倣をしたり、と彼の絵はパワーを失ってゆきますが、1987年の盟友:アンデュ・ウォホールの死をきっかけに登場した、たぶん「死」をテーマにした彼の最晩年の作品の数々は、追い詰められたぎりぎりの感じ、というのかな、怖いような迫力を持っていました。

  本当は、映画「バスキア」を観てからこのレポートを書きたかったのだけれど、とうとう観そびれてしまいました。映画の中の絵も素晴らしかったみたいですね。皆さん、感想を教えてくださいね。



<展覧会に出品しました> 

 さて、去る5月に、アート・ステューデンツ・リーグで、私の午後のクラス:コーネリアクラスの作品展がありました。学内のギャラリーで、毎週それぞれのクラスの作品展が開かれているのです。作品展の最優秀作品には赤いシール、優秀作品数点には青いシールが貼られるのですが、Allenという男性モデルさんを描いた私の絵一点が、青いシールをいただきましたので、皆さんにご報告まで(写真の私の横、縦3枚が私の絵です)。

それではまた。良い夏をお過ごし下さい!


2005年 早春号




<私の最寄り駅:グランドセントラルステーション>

 お久しぶりです!NYでもいつの間にか、さわやかな季節を迎えています。今月5月は、月〜金まで、朝9時から午後4時半まで、「アート・スチューデンツ・リーグ゙」という学校で、油絵を描いています。

  その上、先週からまたNY大学の英語の講座(週3回午後)も始まり、体力勝負の毎日を送っています。では、早春の出来事から、振り返らせてくださいね。




<アート・ステューデント・リーグ> 

 さて、まず、前回ご報告したとおり、今年1月から通っている「アート・スチューデンツ・リーグ(The Art Students League of NY)」のクラスについて書いてみたいと思います
(学校のホームページをご参照下さいね) 
http://www.theartstudentsleague.org/Navigation/Home/HP-FRAME.html

 Non-creditで“誰でも・いつでも”学べる自由な校風の学校で、ポロックやジョージア・オキーフもここの出身です。場所はセントラル・パークのすぐ南、West 57thストリートのカーネギーホールのすぐ対角のブロックにあります。午前中のクラス、午後のクラス、夜のクラス、などバラエティに富んだ選択肢がありますが、先生は基本的にどのクラスも、週に2回しかいらっしゃらないようです。その変わり、どのクラスにも先生の代わりにクラスの監督をする「モニター」と呼ばれる生徒さんがいます。
 1月は月〜金の午後にFrank Mason先生のクラスをとりました。ルーベンス風、レンブラント風、ドラクロワ風の伝統的・古典的な絵を描かれる先生です
(先生の絵は、
http://www.artrenewal.org/asp/database/art.asp?aid=1056#
でご覧になれます)

 Mr. Masonのクラスのモニターは、メアリー(Mary)とステファン(Stephan)の2人でした。ステファンは、ニック・ノルティーのような大きな体に優しい目、セイウチのようなお髭を生やしたおじさまです。私が、裸婦の肌に淡いクリーム色を使っていたら、彼は、まるで不審火を見つけた消防官のように、大慌てで飛んできました。「See(いいかい)、Tomoko、黄色というのは強くてdangerousカラーなんだよ。だから、最初から使ってはいけない。」Mr. Mason先生のクラスでは、肌のシャドウは、コバルト・ブルーとカドミウムレッド・ライトを混ぜて作るのです。

  「そうですか。最初は暗くてMuddyな色から始めて、黄色のようなきれいな強い色は、最後に乗せていくんですね?」・・・でもね、彼自身の絵は結局、暗い赤や青の混じったなかにもやもやとした青白い塊が浮かんでいるままで、結局明るくならないまま終わってしまうのです。メアリーはこのクラスに、もう10年!もいるとのことだけれど、今でも、Mr. Mason先生は彼女の絵に筆を入れ、彼女は感心して見ています。

  彼女の絵は、暗いバックに白い肌が浮かび上がるレンブラント風「光と影」の美しい肖像画なのだけれど、私にはどの人物も、お人形さんのような同じ顔に見えてしまいます。レンブラントは、光と影の強いコントラストを用いた絵を描くけれど、実際に彼が描きたかったのは、暗いバックに浮き上がるその人物の内面性なのではないかしら・・・?

  クラスメートの絵は(もちろん限られた上手な人たちの絵は)、「装飾品」的にきれいではあるのだけれど、なんだか物足りなく感じてしまうようになりました。大きな美術館で、中世の肖像画ばかり観ているうちに、なんだか飽きてきてしまう感じ、といったらお分かりになるでしょうか?




<アート・ステューデント・リーグ:Studentsユ カフェ>

 この学校ではクラスの申し込みは一月単位ですので、2月からは、同じ午後の時間帯のCornelia Foss先生のクラスへと変わりました。(いま、マンハッタンのギャラリーで先生の個展が開催中です。先生の絵は、
http://www.dfngallery.com/artists/artists_represented/cornelia_foss.htm 
でご覧下さい。)

  Corneliaは絵は時間をかけて描いてはいけない、とおっしゃり、Mr. Masonとはまた異なるより現代的な風通しのよい感じの絵を描かれる先生です。ところが、この先生はなかなかに難物で、時としてとてもイジワルな言葉を使われるので、先生の言葉に傷つき、1ヶ月でクラスを変わってしまうクラスメートも続出。あるとき、私がたまたまクラスを休んだ日の翌日、クラスメートがみなプンプン怒っていました。

  前日、先生が、「あなた達の絵はみなugryだわ。私はbeautifulなものが好きなのに。」とおっしゃったとのことでした・・・。私も、最初のクラスで、渡されたマテリアル・リストに載っていない絵の具を使っていたら(リストにあるのは、Titanium White, Cadmium Yellow Pale, Cadmium Yellow, Cadmium Red Deep, Cadmium Red Light, Alizarin Crimson, Ultramarine, Permanent Green Lightの全8色です)、リストにない絵の具は使ってはいけない、と怒られてしまい、驚きました。

  人物の輪郭に好きな色を使ってラインを引いていたら(たとえば、青いライン)、そんなラインはすべて禁止。人物の体に強い陰影をつけるのも禁止。全身像を書いていたら、半身アップでやり直すように、とのご指示。人物の耳を描いていたら、下手なので髪を被せて隠してしまいなさいとのご指示。人物の背骨を描いていたら、三つ編みと区別がつかないから(実際、そのモデルさんは三つ編みをしていました!)塗りつぶしてしまいなさいとのご指示。

 最初は、先生のそのような細かいご指示にいちいちガックリしていたけれど、そのうちすっかり慣れて、「はい。」と言えるようになりました。もちろんすべて、先生のおっしゃることが正しいとは思わないけれど(決して!)、でも先生のおっしゃることにも一理ある、という風にも思えるようになりました。

  もちろんMr. Masonからも学ぶところがあったように、それぞれの先生のよいところを吸収したいなと思ってます。先生のやり方をそっくり真似して先生の絵のコピーを描きたいとは全く思っていないし、実際に自分自身でやってみて自分なりに試行錯誤をしないと結局は何もわからないなあ、とは、いつも思っているけれども。





<GATEプロジェクト:The Gateからのぞく「ダコタハウス」>

 さて、セントラル・パークで、今年の2月 12 日から 27日の2週間、 クリストとジャンクロード(Christo & Jeanne-Claide)というご夫婦アーティストによる「The Gate」という大掛かりなエギジビションがありました。
(詳しくは、アーティストのホームページのhttp://christojeanneclaude.net/tg.html、
または、NY市のページhttp://www.nyc.gov/html/thegates/home.htmlをご覧下さいね)。
 この2人のアーティストは、セントラル・パーク内の歩道に沿って、延々36.8 kmにわたり、オレンジ色の幕の張られた7500個ものゲートを立てました。いくつか写真をご紹介しましょう。

  まず、「The Gate」のオレンジ色のカーテンからのぞく、ダコタハウスです。「The Lake」という湖にかかる橋から、公園の西側を臨み、湖の向こうにStrawberry Field、そして、ダコタハウス(Dakota Building)が見えます。


<GATEプロジェクト:Gateをくぐって歩く>

 私たちが公園を訪れたのはちょうど雪が降った翌日で、地面が白一色に染まった中、木々のグレーを背景に、オレンジの色彩が鮮やかに映えていました。雪はまさに、彼らのアートにとって、ラッキーな最後の仕上げだったことでしょう!

  時に風にあおられてばさっと動くオレンジの幕の下を次々にくぐってひたすら歩いてゆくうちに、いつまでも歩いていたい、というような不思議な感覚に襲われました。

  雪のセントラル・パークを歩くのはこれが初めてでしたので、次の冬には、もしかしたら、この「ゲート」のない公園はどこか物足りなく感じてしまうかもしれません。


<GATEプロジェクト:アーティストの2人>

 私たちはその日、クリストとジャンクロードの2人を公園で見かけたのです。彼らはごく普通の初老のカップルに見え、雪の景色のなか続いてゆくゲートをくぐって歩いてゆきながら、嬉しそうに自分達の作品を鑑賞していました(写真の真ん中、寄り添って歩いている後ろ姿の2人がアーティストです)。彼らの声は聞こえなかったけれど、「ああ、きれいだなあ。」とでも言っている様でした。

  彼らの作品は大掛かりなものが多いのですが、彼らは自分たちの芸術作品を(もちろん、この「The Gate」も)どこの企業とも提携せず、どこからの寄付も受け付けず、すべて自費で行っています。この「The Gate」も彼らが最初に計画を始めてからNY市の許可が下りるまで20年を越す月日がかかり、やっと実現したものです。でもそれもわずか2週間で消えてしまうのです。その大切な作品を、謙虚に、シンプルに、喜んで見ている彼らの姿に、ちょっと感動してしまいました。

  今回のレポートは、雪景色の写真で終わりましたが、次の回には初夏の景色をお届けしたいと思います!


2004年秋〜年末総集編号




<紅葉のセントラルパーク>

  あけましておめでとうございます。NYは寒さで、頬がぴりぴりするような季節になりました。この寒さを誰かが、「Crispy」と言ってましたが、ほんとにきりっとした寒さです。緑いっぱいのNYも大好きですが、この季節が最もNYらしい風景かもしれません。秋からずっと、NYレポート、お休みしてしまってごめんなさい。昨年9月からNY大学の語学講座で英語の勉強を始めたのですが、宿題に追われてなかなか忙しい毎日になってしまいました。

  NYレポートお休みしている間に、いくつか写真がたまりました。2004年秋〜年末総集編号、ということで、駆け足でご紹介させてくださいね。まずは、11月初旬、紅葉のセントラルパークです。




<ハロウィーン・パレード1:メデューサ> 
<ハロウィーン・パレード2:ポロック>

10月31日はハロウィーンでした。ハロウィーンの仮装パレードが当日の夜、スプリングストリートと6アベニューのあたりから歩き出し、夜更けまで賑わいます。お化けだけにこだわらず、それぞれ工夫をこらしたいろいろな扮装で歩いていて楽しかったのですが、NYならではで面白く思ったのが、「ポロック」。抽象画家ポロックそっくりのおじさんが、大きなボードにペンキをたらして、ポロック風の絵を書きながら進んでゆきました。

  さて、11月。11月18日にMOMAが新規オープンしました。私はアニュアルメンバーなので、一般公開の前にメンバーズオンリーの案内状が届きました。当日、午前中の英語のクラスのあと、大急ぎでお昼を済ませてMOMAにゆきましたら、なんと、館内にはワインやコーヒー、軽食のビュッフェが用意されて、給仕さんがサービスしてくれているのです。私もちょっと、ワインなどいただいてしまい、なんだか、すこーし、ビップになったような気持ちでした。

  日本人建築家 谷口吉生氏のデザインによる建物は、すっきりシンプルで、2階から5階まで吹き抜けを大きく取った空間を活かした設計です。でも、がらんとした感じとも言えるかな・・・?とくに中庭は、私は昔のMOMAの方が良かったように思います。館内の展示については、またいつか、別の機会にご紹介したいと思います。(カメラを持ってゆかなかったので、今回、MOMAの写真はないのです。ごめんなさい!)ところで、先日、MOMAに行ってみた友人によると、入場券を買うのにも1時間まち、だそうで、あきらめて戻ってきたそうでした。しばらく、MOMAの混雑は続きそうです。



<サンクスギビングデー・パレード 蛙のカーミックが通りました>
<サンクスギビングデー・パレード終了 空気を抜かれている犬の風船>

 11月25日はサンクスギビング・デーの祭日でした。朝、セントラルパークから34丁目のMacyユsデパートまで、Macyユsが主宰する大きなバルーンのパレードが通ります。沢山のおなじみキャラクターのバルーンが通った最後は、そりに乗ったサンタさんの登場でした。

  Macyユsのサンタは、「34丁目の奇跡」という映画にもなり、とっても有名です。このパレードはNY名物の一つで、42丁目のあたりであまりの混雑で身動きがとれず、結局、パレード見物の最前列まで行くことができませんでした。その代わり行列が終わって、バルーンの空気を抜いて片付けている風景を写真にとりましたので(珍しいショットでしょ?)、ご覧下さいね。このサンクスギビング・デーから、いよいよ、クリスマス・シーズンの始まりです。






<ロックフェラーセンター>
<カルティエのデコレーション> 
<新年を迎えたピア17> 

 さて、そして12月。お店のショーウィンドウだけでなく、私の住んでいるようなアパートも皆、クリスマスの飾りで飾られて、街はクリスマス・ムードでいっぱいになりました。5番外のカルティエの建物が、大きなクリスマス・プレゼントのようにラッピングされました。リンカーンセンターのツリーにも、ロックフェラーセンターのツリーにも、証券取引所の前のツリーにも、街中のツリーに灯がともります。街を見るのが楽しくて、寒さにも負けずに、歩き回ってしまいました。

  大晦日、31日の夜は、42丁目のタイムズスクエアに市民が集まりカウントダウンが行われるのですが、あまりの人手のために当日の夕方4時半ころから入場(?)規制されてしまうとのことで、寒い中、夕方から真夜中までずっと立ち通しでいる勇気・気力・体力がなく、結局、カウントダウンはテレビで参加しました。歩いて20分ほどのところで行われているカウントダウンをテレビで見ているのは、ちょっと不思議な気分。でも、英語のカウントダウンを聞いていると、ニューヨークにいるんだなぁ、と実感しました。皆さんは、除夜の鐘、聞かれたことでしょうね。

  さて、1月から、「アート・ステューデント・リーグ」という美術学校で、月〜金の午後1時から4時半まで油絵を描いています。「なるほど!」「ふーん」「そうかな?」などなど、毎日試行錯誤してますので、また次回のレポートでご報告できたらいいなと思います。


2004年9〜10月 一気に秋になりました!




<グラウンド・ゼロのまえで>

 去る9月11日、「ナイン・イレブン」には、グラウンド・ゼロと呼ばれるワールドトレードセンターの跡地で、三周年の追悼のイベントが開かれました。犠牲者の方たちの名前が、犠牲者のお父様、お母様方によって、一人づつアルファベット順に読み上げられてゆきました。

  主人の会社の同僚の方が、あの日、まだ26歳の若さで亡くなられたので、私たちもお花を手向けにグラウンド・ゼロに出かけてきました。亡くなった方たちをこうして偲ぶ一方で、この跡地には着々と新しいビルの工事が進んでいます。たとえばこの跡地の一部でも、「公園」のようなかたちで残せないものでしょうか。遺骨も見つからない遺族の方たちは、ビルが建ってしまったら、どこで故人を偲べばよいのでしょう?



<近接するビルの窓から見るグラウンド・ゼロ>

 さて。こちらでは、9月22日のお昼12:30から秋になりました。朝のニュースで「今日の12時半から秋です」、と放送していて、びっくりしました。日本でも、夏と秋はこんなにはっきり、時間指定で分かれてましたっけ?・・・「あいまいさ」がなくて、なんだか、アメリカっぽいなぁ、と思います。

 さて、今回は、9月に観た「メトロポリタン美術館」、「ホイットニー美術館」、そして「MOMAクイーンズ」の特別展からいくつかピックアップしてみます。



<メトロポリタン美術館>

 実は、これまであまり、メトロポリタン美術館について書いてないことに気が付きました。皆さんご存知のとおり、メトロポリタン美術館はもうほんとに、層々たる作品群ですので、実はわたしもまだ全部、観ていないんです。画集でおなじみの有名な絵の前に誰もおらず、わたし一人が独占しているようなときもしばしば・・・。贅沢だなあ!

 先日、こちらで、NHK「日曜美術館」ギュスターフ・モローの「オデュプスとスフィンクス」を放送していました。テレビを見た後、さっそく、メトロポリタンに出かけて、本物をじっくり観て来たんです。・・・こんなの、本当に贅沢なことですよね。




<10月11日コロンバス・デーのカーニバル練習中>

 さて、オーギュスト・サンダー(August Sander)というドイツ人写真家の回顧展「People of the Twentieth Century A Photographic Portrait of Germany」が9月17日まで開かれていました。20世紀前半のドイツの人々の姿を大真面目に撮った写真展ですが、その時代にはもちろん2度の大戦があったため、彼自身ナチの圧力を受け、彼の息子も政治犯としての迫害が元で亡くなっています。

  写真は、「農民」や「職人」や「アーティスト」などの7つのカテゴリーにわけられ、どれもしごく大真面目に写っている人々の写真なのですが、その硬いポーズに硬い表情がかえって、自分をこのように見せたい、こういう風に見てほしい、というモデルのとても本質的なところを表してしまっていて、とても面白かったのです。ある写真については「面白い」などという表現は不謹慎なのかもしれませんが、靴職人は靴職人っぽく、牧師さんは牧師さんっぽく、銀行家は銀行家っぽく、しごく大真面目に、そして一生懸命に写真に写っているところに、不思議なユーモアも感じられるのです。(作品写真は、下記サイト参照)
http://www.metmuseum.org/special/se_event.asp?OccurrenceId={DC021885-C838-4448-A135-E335A09BBB78}




<ホイットニー美術館の前で>

 さて、もちろんメトロポリタン美術館はとてもすばらしいけれど、このページに「ホイットニー美術館」の出現頻度が高いのは、小さな美術館で一気に見てしまえるし(メトロポリタン美術館ではあり得ないです!)、ほとんどが企画展で2〜3ヶ月ですっかり新しくなるし、ということなんです。気軽に訪れることができて、訪れるごとにワクワクするし、ということなんですね。

 アンナ・メンディエータ(Ana Mendieta)というキューバ出身の女性アーティストの「Ana Mendieta: Earth Body Sculpture and Performance 1972 - 1985」という美術展が9月19日まで開催されていました。彼女は窓から転落して(突き落とされて?)まだ30代半ばで謎の死を遂げたアーティストです。幼いころのキューバ内戦の体験からか、彼女の作品には、「死」のイメージが付きまとっています。自分自身の体に血をイメージする赤い絵の具を塗りたくったボディー・アートのビデオ作品から、木や土を題材としたオブジェまで、その体裁はいろいろ。でもそのテーマは一貫して「女性の体」であり、「死」や「埋葬」そしてさらには、「生命の誕生」です。彼女の作品を1つだけぽつんと見せられたら、私にとってはただのがらくた(!)に過ぎないかもしれないけれど、こうやって次々に彼女の作品を見てゆくと、次第に彼女の世界に引き込まれてゆくのを感じ、それはとても新鮮な体験でした。




<セントラルパーク沿いに本屋の出店の看板>

 以前、ホイットニーで開かれた「バイオニアル」を見たとき(これはいろいろな作家の作品の寄せ集めの展覧会ですので)、アート作品の見せ方としては本当は相応しくないのではないか?なんて思い、ちょっとここにも書きましたが、それとは反対に、一人のアーティストの作品をこれだけ沢山集めてあると、ぐいぐいとその独自の世界に引き込まれてゆくのがわかりました。たとえば、彼女は、地面の上に女性の人型の(ミイラのような形の)くぼみや、土の盛り上がりをつくり、そこに赤絵の具を流したり、火を燃やしたり、という試みをしています(作品は、写真の形で見ることができます)。

  次第次第に、私たちは、写真の中に、その「人の(死体の?)形」を探してしまうのです。野原の写真があり、ただこの写真一枚だけでしたらなんということもない雑草の野原なのですが、彼女の作品をいくつも見てきたあとでは、私たちの目は、その雑草の集落が人の形に見えることを発見してしまうのです。もちろん、ひとつの「世界」を作ることができる、というのは、そのアーティストの資質だと思いますけど。・・・ダメな作家の作品は、いくら集めてもきっと、ダメですよね。




<5番街のブティックのウインドゥ>

 MOMAクイーンズはもう、「閉店」してしまいました!いまは、11月20日にまた、マンハッタンに「新規オープン」するのを楽しみに待っているところです。さてMOMAクイーンズの最後の特別展として、9月末まで、Lee Bontecouというアメリカの女性アーティストの展覧会「A Retrospective」が開かれていました。彼女は1930年生まれ、とのことなので、もうすっかりおばあさん(失礼!)のはずなのだけれど、とてもユニークで、なんだかとっても日本的なんです。日本的といっても、浮世絵とか風月画とかの美術品に似てるという意味ではなくて、もっとなんというか、日本の土着の感じなんです。「ゲゲゲの鬼太郎」や「トトロ」の世界です。土臭かったり、海のなかの生物を思わせたり、不思議な有機的な感覚でした。
(彼女の作品写真は、で観ることができます。)http://www.hammer.ucla.edu/exhibitions/3/works_1.htm



<夏に作った彫刻をちょっとご紹介>

 夏に、美術学校で彫刻の講座をとっていることをご報告しましたが、そのとき作った彫刻はこんな感じに仕上がりました。秋の講座は、黒い肌の美しい女性のモデルさんです。毎週、エキサイティングな土曜日の午前中を過ごしています。さて、先月ご報告した、猫のカフェですが、閉店してしまいました!もともと試験的オープンとのことだったのだけれど、人気があればそのまま営業、とも聞いてたので、はやりダメだったんでしょう。もし、「猫のカフェ」に来てみよう、と楽しみにしてる方がいらっしゃるといけませんので、ご報告まで・・・。


2004年8月 夏になりました。でもこちらは涼しい夏です!




<6番街の“チェルシー”と呼ばれるところです。あんまり縦長の空ではないですけど・・。>

  NYは今年は、涼しい夏を迎えました。
最近マンハッタンの空を見るたびに、「スパイダーマンは、NYの空しか飛べない!」というすごく唐突なフレーズが頭に浮かびます。たぶん、映画のスパイダーマンが飛ぶ姿がとっても印象的だったから・・・。でも本当に、スパイダーマンがビルからビルへと飛んでゆけるのは、縦長にカットされたNYの空だからこそ。決して、東京の平べったい空は飛べないでしょう。





<タングルウッド野外音楽堂>

  8月14日の週末に、マサチューセッツ州の田舎の街、レノックスに小旅行にゆきました。ボストン交響楽団がこの小さな田舎の町で毎夏開く野外コンサート「タングルウッド音楽祭」が今回の目的です。アパートの近くでレンタカーを借りて出発。マンハッタンを出るとすぐに、フリーウェイの両脇は一面の緑となってしまいます。鹿の姿も一度、目にしました。いかに「マンハッタン」というところが特殊な場所なのかということがよくわかります。





<ノーマン・ロックウェルのイラストから> 

  その途中、ストックブリッジという町にあるノーマン・ロックウウェル美術館に寄りました。今回はノーマン・ロックウェルの絵についてお話したいと思います。彼の絵は、私を含め、ここを訪れる人たちを微笑ませ、ときに涙ぐませ、ほんわり暖かな気持ちにしています。けれども、ふと私は、彼の絵はメトロポリタン美術館にあるだろうか?、アメリカのモダンアート専門のホイットニー美術館は彼の絵を所蔵しているだろうか?と考えてしまったのです。

 ノーマン・ロックウェルは、1916年から47年にわたり321もの「ザ・サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙を描き、そのユーモアと精密な描写力で、多くの人々を魅了してきました。彼の絵を愛する人は世界中に沢山いるでしょう。けれど、ホイットニーの常設展には彼の絵はないし、メトロポリタンの作品カタログにも彼の名前は見当たりません。商業的ニーズに基づいて雑誌の表紙用にかかれた単なるイラストレーションということで、芸術作品として認められてないのでしょうか? 大衆に受けることを目的として描かれているので、芸術家の内なる表現としては純粋ではないと思われているのでしょうか?・・・でもね、彼は、なにが人々を幸せにするのかを十分わかっていて、それを暖かなユーモアで包んで表現し、だから彼の絵は多くの人に愛されてきたのでしょう。誰かを幸せにできるパワーを持っている、ということはすでに、それはアートなのではないかしら?
http://www.nrm.org/
より(1960 SEPS: Licensed by Curtis Publishing,Indianapolis, IN)





<彼の画集・パンフレット>

  じかに彼の絵を見ると、彼の絵のテクニックは抜群なことがわかります。もし彼がユーモアを廃して宗教画をテーマにしたならば、古典的な聖母子像だって描けたでしょう。たとえば、フェルメールの窓辺にたたずむ女性の絵を思い起こさせる絵があります。実はこれは、レーズンの広告のために書かれた絵なんです。もともと私は、フェルメールについて、絵の職人さんとしてはその技術は卓越していると思うものの、どうしてそれほどの人気があるのか、今ひとつわからないのです。誰もが、「真珠のイヤリングの少女」の真珠はすばらしい!と言うけれど、そのように真珠を描ける画家はほかにも沢山いると思うのです。・・・きっと、たぶんロックウェルだって。

  このロックウウェルの“Fruits of the wineモという絵は、そういう意味での絵の職人さんとしてはとても上手。・・・そうなんです。彼の絵は、絵の技術的にはとても上手で、でもときとして、その「器用さ」が彼にとって、マイナスになってしまっているのかな、と思ってしまいます。だって、いまは、「下手」で「不器用」で「洗練されてない」ということのクオリティがあまりに高く評価されているから。下手な絵は確かに面白い。デッサンが狂っていると、たとえば手が極端に短かったり、首が曲がってついてたりすると、ある意味、はっとするように新鮮です。・・・だけど、「下手=純粋」という構図があまりにもまかり通りすぎてるんじゃないでしょうか?稚拙であるということが、美術として本当に純粋なのかどうか、ちょっと考えてみてもいいんじゃないのかなあ?





<ノーマン・ロックウェル美術館の前で>

 後半生の彼は、自分の内なるテーマに取り組むようになります。「僕の中にベン・シャーン(的なもの)があれば・・・」とある手紙に書いている“Murder in Mississippiモという絵があります。実際に起こった人種差別の流血事件をテーマにしたものですが、雑誌「Look」は、完成作品の油絵ではなく、試作品のスケッチの方を採用しました。

  3年後、ロックウェルはこのことについて、「僕のスケッチにはあった“怒り”はすべて、完成作からは消えてしまっていたんだ。」と別の手紙に書いています。確かに彼のスケッチには、鳥肌がたつような「怖い感じ」がある。でも、完成作品だって悪くないです。怒りとか恐怖のような「なにかの感じ」をつかまえるのは、とっても難しい。

  たとえば、ピカソの「ゲルニカ」だって、もうそういう「なにか」を失っちゃってると思うんです。きっと何回も試作を繰り返すうちに、なにかを無くしちゃったんでしょう。私はピカソは大好きだけれど、「ゲルニカ」を見ても少しも恐ろしく感じないのです。でもたとえば、ゴヤの作品にはたしかに鳥肌の立つような怖さがあります。けれども、そういうのは、稀有なことじゃないかしら?緻密なテクニックを使って時間をかけて絵を仕上げようとすればするほど、「怒り」のような生の感情を完成作品に盛り込むのは難しい。

  ロックウェルは、そんなに自分に厳しくなくてもよかったのに。沢山の人を幸福な気持ちにしたということで十分だと思うのだけれど・・・。ところで、私のあるアメリカ人の友人は−彼女はフェミニストなので―、ロックウェルの絵があまり好きではないそうです。「外で働くお父さんと家事のうまいお母さん」という昔風の性役割を強調してるからですって。いろいろな見方があるのですね。





<猫のカフェ!!>

  さて! 一気にNYに戻ります。NY5番街、NYパブリック・ライブラリーの向かいに、猫専用のカフェ「Meow Mix Cafe」が8月17日にオープンしました(人間は、猫同伴に限りOK!)。キャットフードのメーカーが試験的にオープンさせたもので、お店の前には「トトロ」の「猫バス」のようなバスが停まり、店内は黄色とオレンジのストライプの猫ちゃんグッズがぎっしり。一番奥が件のカフェになっていて、大きな白猫のお客様がお一人、飼い主同伴で上品にお食事中でした。



2004年7月 独立記念日特集




<聖火ランナーを見ました!>

  6月19日の土曜日、映画(「ハリー・ポッターとアズガバンの囚人」でした。よかったです!)を観た帰り、42丁目を歩いていたら、ちょうど偶然に、6番街と42丁目との交差点で聖火ランナーを見ることができました。沢山の人でぎっしりの写真左手の公園Bryant Parkは、私たちの家から一番近い芝生の美しい公園です。



<独立記念日のホットドック早食い大会>

  7月4日は独立記念日でした。毎年独立記念日に、ブルックリンの南端、コニー・アイランドで開催されるホットドッグの早食い大会:"Nathan's Famous Fourth of July International Hot Dog Eating Contest"を見に行きました。ネイサンズという老舗のホットドッグのお店が主催するもので、1916年にこのお店がこのSurf Avenueにオープンして以来、独立記念日に毎年開催されている伝統の大会なのだそうです。

 日本から、「大食い会」では「プリンス」のあだ名で知られる小林崇(たける)さんが参戦。体重ではアメリカ選手の半分しかないような小柄な美青年の彼なのに、それまでの記録を2倍以上上回る50個と半分のホットドッグを12分間で食べたという"世界記録"を持っており、ここ3年連続のチャンピオンで、ステージに登場したときから大人気。晴天の下、人々の熱気でむんむんしているなかで、いよいよ競技開始です。




<小林選手、優勝!> 

  ・・・すごかったです!!新たなる“世界記録”達成の瞬間を見たい!という人々の熱い期待に応え、彼は今回、12分間で53個のホットドッグ(もちろん、パンも含めて)を食べて、圧勝でした。優勝商品は、栄誉あるマスタード・イエローのベルト。次回こそは、このベルトを日本からアメリカへ取り戻す!!と試合後のインタビューでアメリカの巨漢の選手が吼え、たかが早食いというなかれ、です。いったい、人間の体のどこに、53個ものホットドッグが入ってしまうのか??・・・人体の不思議にふかーく感じ入りつつ、私たちも、ネイサンズに寄って伝統のホットドッグを食べましたが、私たちには1個で十分でした!
コニー・アイランドは、ちょっとひなびたいかにも海辺の観光地、というところで、ゲームセンターやおみやげ物屋の派手な看板が夏の青空の下に鮮やかなのに、でもどこか、ガランとしていて、すこし郷愁をさそう場所でした。




<クロイスターズ美術館へようこそ>

  独立記念日の前日、7月3日の土曜日には、クロイスターズ美術館に行って来ました。ここは、メトロポリタン美術館の別館で、中世ヨーロッパの美術品を展示しています。マンハッタンをずっと北上したハドソン川のほとりの丘の上に建っているのですが、ヨーロッパの古ーいお城を訪れたような気持ち。まわりを公園の緑に囲まれたとても気持ちのよい場所で、水着をきたお姉さんたちが芝生に寝そべって日光浴をしており、まさにマネの「草原の昼食」のような風景でした。



<クロイスターズ美術館>

 クロイスターズの建物は、たとえばセゴビアから12世紀半ばに作られた礼拝堂を移してきたり、フランスの教会の一部であったり、中世回顧様式の建築となっているとのことで、回廊に囲まれた中庭には噴水と花壇があり、いまはちょうど、色とりどりの花が咲き乱れており、訪れるにはとてもよい季節だと思います。

  展示品としては(もちろん、建物そのものが“展示品”であるわけなのですが)、中世のタペストリーや陶磁器、金属細工、彫刻、ステンドグラスなど、ロマネスク時代からゴシック時代にかけての工芸品が主に集められています。中世の工芸品は、メトロポリタン美術館の本館にも展示されているのですが、やはり、こういう建物の中で見るほうがずっと、“それらしく”て、面白く感じられました。初夏の休日をのんびり過ごすには、お勧めの美術館です。





<NYAA:構内をこっそり撮りました>

  さて、ちょっと私の近況です。6月から、ニューヨーク・アカデミー・オブ・アート(NYAA)という美術学校で、人体彫刻と、シティスケープ・ペインティングの夏期講座を2つ、受講しています。

  それぞれ、週に1回、夕方のクラスです。シティスケープ・ペインティングは、毎週、マンハッタン内のいろいろな場所で待ち合わせをして、街の風景を描くもので、これまでセントラル・パークや、ハドソンリバーのほとりの船着場などで描いてきました。生徒は私含め5人だけの小さなクラス。ただ、夕方の6時に描き始めても、そのうち太陽は沈んでしまうし、光と影もどんどん変化して行くし、6時から9時という夕方の時間帯を使って1枚の油絵を仕上げる、というのは、ずいぶん難しいことがわかりました。





<NYAAの彫刻のクラス>

  彫刻のクラスの方は、男性のモデルさんを囲み、8週間かかって1体の粘土の彫刻を完成させるというものです。彫刻が光ってしまってうまく写真に撮れませんでしたが、手前の彫刻がいま、私が作っているもので、後ろにいらっしゃるのが先生です。  こちらは、10数人のクラスでしょうか。モデルさんを前に、粘土で形を作って行くのは本当に楽しくて、こちらは3時間があっという間の感じです。

  何人かの生徒さんはもうこのクラスのリピーターでクラスの最初から既に仲良しで、途中20分間の長い休憩の時間には、学校の前のバーに“ちょっと一杯”、を楽しみに出かけてゆくのです。私も混ぜてもらうようになり、毎回、休憩時間にスタンディング・バーのカウンターで白ワインのグラスをいただき、クラス後半はちょっとほろ酔いで製作しています。



<独立記念日・花火>

 7月4日独立記念日の日の夜には、恒例の花火大会があります。Macyユsというデパート主催で1万発の花火がイースト・リバー沿いで打ち上げられました。私たちのアパートの屋上からはイーストリバーがよく見えますので、沢山の人が屋上に勢ぞろい。花火を楽しみました!


2004年6月 ホイットニー・美術館「バイアニアル」訪問しました。




<ヤンキース 松井の打席>

 去る5月16日(日)、ヤンキース・スタジアムに、ヤンキース対マリナースの試合を見に行きました。もちろん、松井もイチローも出場です。炎天下、みな、ビールを飲み、ホットドックを食べ、大声で叫びながら、自由に楽しく応援しています。ピーナッツの殻などは、どんどん床に落としてしまうのです。松井に大声援が起こるとやはり嬉しいし、イチローにブーイング(ここはイチローにとってはアウェーですから)が起きると、ちょっと複雑。でも、ブーイングが起こるのも逆に人気のある証拠でしょう。
  アメリカ国家を歌うときだけは、みな少し神妙になり、起立して帽子は脱ぎ、中には胸に手をあてて歌う人も居て、アメリカ人はアメリカ人であることを誇りに思っているのだ、ということを強く感じて、感動しました。「愛国心」というとちょっとまた大げさかもしれませんが。



<クライスラービルを背景に、ミッドタウンのレストランの軒先>

 さて、今回は、Whitney Museum of American Art(ホイットニー美術館)で5月末まで開催されていた「Biennial (バイアニアル。日本では、ビエンナーレと言ったほうが通りがよいかもしれませんね)」について書こうと思ってます。ただ、美術館の中では写真をとりませんでしたので、今回の写真は、まったく内容とは関係ないのです!

 ホイットニー美術館は、アメリカのアートシーンを引っ張る先駆的アーティストの作品に焦点をあてた現代美術館で、1930年代に創設されました。バイアニアルは、ここで2年に一度開催される美術展です。バイアニアルに出展しているアーティストは、ほとんどが若くて新進気鋭のアーティストばかりです。どの作品も、作者が「新しい試み」ということに焦点をあてているように感じられるので、お伝えしたいことがいっぱい。ですから、この文章のためにどれを選ぶかは難しいところですが、変わったところをいくつか、ご紹介したいと思います。




<34丁目にある世界で一番大きい?デパートMacyユs>

 "Untitled" ,by Erick Swenson(born 1972), 2001は、柄織の絨毯の上に白い子ヤギが立ち、足をふんばり、角を低くして、なにか抵抗の姿勢をとっている、という立体作品です。「子ヤギ=自然、無垢なもの」、「絨毯=人工的なもの」という対比はすぐに気づくことですが、作品の横の壁に貼られている製作プロセスの解説によると、たとえば、絨毯の柄は、本物の(おそらく手織りのウールの)絨毯をコンピューターでスキャンして、インクジェット・プリンターで化学繊維の上にその柄のみをプリントしたものだということで、あくまでも、「手作りのぬくもり」的なものを排除して、「自然vs非自然」を強調しているようです。

 でもね、第一印象は、子ヤギはつるっと白くて無機質に見え、絨毯についてはその派手な柄に目を奪われて、あまり人工的なものを感じない。果たして作者のここまでのこだわりは、意味があったのだろうか?なんて、ちょっと思ってしまいます。そうなんです!ここにある作品のいくつか(多く?) には、作者のこだわりは感じるものの、どこまで自己満足を超えた世界なのか難しいところだし、本来「自己満足」ということは雑音を配してそれだけ追求してゆくということでパワフルな純粋なアートなのだと思うのだけれど、このバイアニアルで見る限りでは、それもなんだか、まだまだ未知数な感じです。







<エンパイア・ステート・ビル>
<ミッドタウンの小さな教会>

  "Blackout Bar"by Tom Bun(born 1963)は、展示室一室まるまる使った作品で、一言でいうと、バー・カウンターのある風景です。中央に黒いバー・カウンターがあり、ウィスキーや赤ワイン、ビールの飲み残しの入ったグラスが乱雑に置かれています。丸めたちり紙やタバコの吸殻や、コインなど、乱雑に配置されています。バースツールも、倒れているものあり、乱れた部屋の風景です。特徴的なのは、大きな(直径1メートルほどでしょうか?)黒いビニールの花が5つ、1対はカウンターの上にずれかかったテーブルクロスのようにかけられ、残り4つは床に敷かれているのです。

  解説によると、これは、アンディー・ウォーホールおよび彼の時代へのオマージュらしいのです。ウォーホールには、「花」をモチーフにした作品がありますが、オリジナルは赤や黄の鮮やかな色だったように記憶してますが、この黒い花はそのオマージュ。良く見ると、カウンターに散らばっているコインは、1セントと10セントのみで、くしゃくしゃに丸まったちり紙とともに、いかにもみみっちくて場末な感じ。

  タバコの箱はラッキーストライクで、ウィスキーはジム・ビームということも、特定の時代、雰囲気を連想させる作者のこだわりなのかもしれません。バースツールについても、カウンターの手前のものはきちんと立っているのに、裏側のものは乱れて倒れている。これは、もしかしたら、「前→後」といった時間の経過を表しているのかもしれません。

  ・・でもね、この作品は、「ウォルホールへのオマージュなんです」という解説つきで、「ふうん。」と思うようでは、作品として、だめなんじゃないでしょうか?そもそも、「退廃的」なムードのものを、他の作品と平行して、こんな美術館で見せること自体、もうアウトなのではないかしら?だって、隣の部屋には、ほかのアーチストの手による明るい派手な作品が展示されてるんですから・・・。NYのダウンタウンのがらん、としたバーのほうが、それが何の意思もなくただそこに存在している分だけ、ずっと、胸にずきっと来るのです。



<メモリアル・デーのフリーコンサート会場:セント・ジョン・デバイン大聖堂> 

 もちろん、「快適な」作品もあります。日本から唯一、出品している草間彌生さんの"Fire Fly"という作品は、暗い鏡張りの一室の床に水をひき、天井からは、赤・青・黄の沢山の豆電球をつるしている、というものです。見学者は、順番に一人づつ、この部屋に入ることができるのです。部屋に入るとドアが閉められ、自分ひとり、まるで、広い荒野の水辺に立って、周りに無数に光る小さな蛍を見ているような幻想的な光景です。純粋に、きれいです。ここまで、「装置」的なものがアートであるのかどうかは、私にはよくわからないのだけれど、この作品が快適で美しくて、また見たくなる、ということは疑いようがありません。



<グラウンド・ゼロから臨むワールドフィナンシャル・センター>

そのほか、鬘やガラスのキューブをつかって死体を連想させるような作品や、アルミの鏡を張った部屋に花や網目の絵を配した作品、墓を連想させる石の彫刻、ミンクのような白い毛皮で覆われた小さな家など、いろいろな作品がありました。

  若手の実験的な作品のなかで、David Hockneyの水彩画何点かを見ることができました。私はホックニーが好きなんです。技術の高さに裏打ちされた、でも、肩肘はらない感じ。たとえばロサンゼルスの、ビバリーヒルズの、空気の匂いがする感じ。今回の作品はみなNo titleなのですが、たとえば、ある作品。ブルーの手すりのベランダに赤い椅子が置かれ、雨が降っている光景です。さくさくっと書かれていて、とてもフリーな感じ。

  でも実は、雨を表現するために、白く塗り残して雨の線を表しているようです。きっと、細部にまで細心の注意を払っているのに、その作為を感じさせない気持ちのよさ。今回のバイアニアルの展示作品のなかで、もし、私がどれかひとつ、もらうことができるなら(そんなことは、あり得ないけれど!)、間違いなく、ホックニーの作品でしょう。




<5番街から ビルの間の雲>

今回はちょっと、一つの美術展について、熱っぽく語ってしまいました。
これを書いているのはもう、6月の半ばですので、NYもすっかり夏になりました。そろそろ、バカンスの話題が盛んになる季節です!


2004年5月 やっと暖かくなりました。






<帽子に「花かご」をつけた少女>
<5番外をパレードする人たち>

 4月の半ば、NYは突然、春になりました。4月11日は、イースターの祭日でした。5番街でイースターパレードがあるとのことで、散歩がてら、出かけてみました。5番街が歩行者天国となり、散策をたのしむ多くの人たちで賑わっていました。ご存知のとおり、イースターはキリストの復活祭であるとともに、春を告げるお祭りでもあり、卵やうさぎ、春の花々がシンボルです。歩いている人たちのなかには、帽子に花や卵を飾ったりしたイースター用のおしゃれをしている人もたくさんいて、春を楽しむニューヨーカーの心意気を感じました。


<ロックフェラーセンターのウサギのかたちの植木のまえで>
<MOMA Queensの前で>

 いま、マンハッタンのMOMA(現代美術館)は建物の改装中で休館しています。そのかわり、MOMAはクイーンズに、仮設店舗(?)の「MOMA Queens」として開かれています。先日、このMOMA Queensに行ってきました。

 「MOMA Queens」ではいま、「Dieter Roth」という人の回顧展が開かれています。彼は、1930年に生まれたドイツのアーティストで、1998年に亡くなっています。煩雑な印象の作品群です。コラージュ作品や様々な素材を用いた立体作品、たくさんのクロッキーなど、作品の素材・形態はバラエティに富んでいます。なかには、ソーセージや生のバナナをそのまま、用いた作品もあります。もちろん、ソーセージやバナナは年月を経るうちにその作品のなかで腐敗して、今ではただの黒い塊になってしまっているのです。チョコレートを紙になすりつけた「Chocolate on Paper」という作品もあります。

  「うわ、汚い!」という第一印象の作品もあるなかで、けれども不思議と、全体の印象はエネルギーに満ちていて、不快には感じません。これだけ、様々な「妙なこと」を力いっぱいやってしまった、というそのアーティストのエネルギーの集大成に、圧倒されました。晩年まで彼は創作活動を止めなかったとのことですが、最後まで、「俺はなにをやってるんだろう?」「こんなことをして何になるんだろう?」と「我に返っていない」強さ。美術に対する欲望を追求するパワーの大きさ。作家が、途中で、飽きたり妥協したりしていない。最後まで、自分の作品に興味をもっていることが感じられること。・・・その点は、たぶん、アーティストとして、純粋なのだと思います。

  3月に訪れた「Armory Show」という展示会のなかの、一見、とても新しくて実験的なように見えても、実は「受ける」ことを目指している作品の群れと比べると、やはり、彼のその「自分がよければそれでよい!」と言い切っているような作品には、迫力を感じました。

 アーティストが自分で、「飽きていない」「妥協していない」「迷っていない」というのは、もちろん、ゴッホやセザンヌ、マティスやピカソ、といった私も大好きなMOMA常設展の人たちの絵を見ても感じることです。常設展には、たとえばマティスの「ピアノ・レッスン」という絵がありますが、画集などで見た印象よりも大きな絵で、こんなに大きな絵の大きい部分を「塗り残し」にできる勇気、潔さが、絵の前に立っているととても気持ちがよく感じられるのです。




<車窓からみたウォールペインティング>

 さて、私はクイーンズに行くのは、今回が初めてでしたが、マンハッタンとはまったく印象の違うところです。車窓から見える景色も違います。マンハッタンのなかでは、実は、壁の落書きを見る機会はそれほど多くないのですが、この車窓から見える落書きは壮観でした!電車のなかから撮った写真なので、あまりよく撮れてはいないのですが、まるでその街1ブロックがすべて、絵で多い尽くされているような迫力。ヘナチョコのモダンアートは太刀打ちできないのではないでしょうか?
<セントラルパークの桜>

 今日は暖かな土曜日で、私たちのアパートの近くにあるBryant Parkという公園まで、散歩してきました。渡米当初は、雪のなかで灰色の閑散とした空き地でしかなかったこの公園が、今は、花壇に囲まれた緑の芝生の公園と様変わりし、昼には昼食をとるビジネスマンで、夕方には仕事帰りにちょっとビールを片手の人々で、また休日には日光浴を楽しむ家族連れなどたくさんの人々が集っています。ビルに囲まれた小さな公園ですが、メリーゴーランドがあり赤いパラソルとベンチがあり、芝生の緑が鮮やかで、ここに集う人たちはこの公園の明るい太陽の光をとても大切にしているようです。

 セントラルパークもたくさんの花々で彩られました。桜の並木もあるのです。4月には満開の桜を見ることができました。最後に、セントラルパークの桜並木をごらんに入れましょう!


2004年4月 皆さん、お元気ですか。NYにきて、もう2ヶ月あまりがたちました。



<NJ側から見たマンハッタン>
 1月末に渡米してから一週間ほどたった、2月の最初に書いたメモは、こんな感じです。NY雑感、なんていうとかっこいいですけど、まずちょっとマジメなこんな感想から・・・。

 「・・・まず感じるのは、とても居心地がよい、ということです。雑踏のなかを歩いていると、むしろ渋谷や新宿の街を歩いているよりも、ずっとリラックスしてしまいます。もちろん、油断は禁物なので、肩にかけたバッグはしっかり脇をしめて持っているし、まっすぐ前を向いて足早に歩いているけれど。でも、日本の街の雑踏のなかにいると、同じような人たちのなかで少しづつ、異邦人になっているような居心地悪さを感じてきて、ぐったり疲れてしまうのだけれど、ここNYでは、雑踏に紛れているのがとても楽です。ここでは違っていて当たり前。みなが異邦人なんですから。・・・」なあ〜んてことを、メモしてます。どうも、割とすぐに、NYになじんでしまったみたいです。




<パークアベニューよりメットライフビルを背に>
 短期滞在用の賃貸アパートをとりあえず最初の一ヶ月間借りて、その間にゆっくり、住処を見つける計画でした。渡米前にいろいろな方からアドバイスをいただいたのですが、「アッパーイースト(セントラルパーク東側)が良い」と言う方あり、「これからはぜったいに、アッパーウエスト(セントラルパーク西側)が面白い」と言う方あり、また「チェルシーあたりがおしゃれでいいよ」と言う方もあり・・、結局NYはどこも面白い、ということなのでしょうが、あちらこちらと回ってみましたので、実は一ヶ月もあっという間でした。

  さらに、噂通り、ともかく寒い!! 不動産ブローカーの方からいくつかアパートを見せてもらうのですが、まだなにせ土地勘がないので、後日、自分でそのあたりを歩いてみて、あたりの町並みをリサーチしていたのですが、続けて何十分も戸外にいられない寒さです。帽子をかぶっていないと頭はがんがんしてくるし、手袋がないと手が痛くなってくる寒さ・・・。一度などはあまりの寒さにメトロポリタン美術館に避難して、館内には入らず入り口のところでしばし暖をとり、えいっとまた、戸外にでてゆきました。・・・それでも最初は、必要に迫られているのと同時に、新しい街がおもしろくて、せっせと歩き回っていました。

  ようやく2ヶ月がたとうとしている今、NYの「新鮮さ」と「日常」とがうまい具合にミックスしてきた感じです。




<NY冬のブロードウェイの街なみ>
 結局決まった私たちのアパートは、グランドセントラル駅のすぐ横。歩いて3分もかからないところです。この写真の右が私たちのアパート、左にそびえているのがクライスラービルです。NYの街は本当に、空が縦に細長いのです。



<クライスラービルと、私たちのアパート>
 さて、これはアトリエ・サガンのページで、美術に興味のある皆さんが主にご覧になるページでしょうから、毎回、なにか「アート」の話題を書きたいと思ってます。
 メトロポリタン美術館とホイットニー美術館については、アニュアル・メンバー(年会員)になりましたので、何度でも訪問できますから、またちょくちょくこのページにも登場すると思いますが、今回は、3月12〜15日にかけて開かれた「Armory Show -International Fair of New Art-」というアート・ショウについてお話したいと思います。




 これは、私の友人が紹介してくれたこちらの画学生がメールで教えてくれたもので、ガイドブックなどには載ってないのではないでしょうか? アッパーウエストのハドソン川ほとり、90番と92番というピア(埠頭)の倉庫で開かれたとても大規模な美術展で、NYのギャラリーが主催しているもののようでした。 広い倉庫の空間に、それぞれのギャラリーがブースで区切られた持ち場に、バリバリのモダンアートを展示しています。・・・実はこれらはすべて、「売り絵」なのです。最初は値段がついていることに気づかず、途中からは「この絵がこんな値段?!」という興味で、それぞれのギャラリーのスタッフに値段を聞きつつ、回りました。

  でもねえ、なんとなく「汚い」絵が多いのです。「汚い」なんていう言葉を使ってしまうと、では、「“美”とは何なのでしょう?」なんていう難しい議論になってきてしまいそうですが、やはり、人間が本能的に感じる「きれいだなあ」というものは確かに存在すると思うのです。また、そういう心地よい美しさのほかにも、たとえば「醜さ」のなかに凄惨な魅力がある、ということもあるのかも。でも、ただ「汚い」、つまり、「魅力がない」作品もたくさんあったように思います。その「魅力のなさ」「チープさ」「どうでもよさ」を「売り」にしてるのでしょうか?・・・なんだか、いいのかなあ?という感じです。

  オリジナリティーを尊重する、ということはNYにきて感じることですが、アートの世界でも、自分の「オリジン」を前面に出しているものが多くて、たとえば日本のアーティストですと、絵の中に「キモノ」を書いたり、「漢字」を背景に加えたり、金箔をつかったり・・・と、ジャパニズムを強調していて、それはこちらの市場では新鮮なのでしょうけれど、私は、ハリウッド映画の描く日本を見るような、少〜しだけ居心地の悪い気持ちがしてしまいました。

  でも、売るためだけの絵ではなくて、ちゃんとアーティストが感動をもって描いているような絵に出会うと、足をとめて眺めてしまいました。たとえば写真の作品にいくつか美しいものがありました。また、Santi Moixという画家の大きな抽象画が好きでしたし、Kate Donacheという画家の人物画は地味だけれど色と流れるような筆遣いが美しかったし、 Maureen Gallauという画家の小さな風景画も静かな風景で好きでした。人物の顔をクローズアップして大きく描く画家がいて、彼の絵はなんと、一枚1000万円超の値段がついており、ほとんどが売れていました。

  私は(サガンの皆さんも)、「これなら簡単に描けるのでは?」と思ってしまったのですけれど・・・。ともあれ、作品そのものを観る、というよりは、むしろ、NYのアート市場や、アートを見に来ている人たちを観る、という意味で、とても楽しい展覧会でした。


<ブルーマン現る!>
最後におまけ。マディソンスクエアという公園で突然遭遇した「ブルーマン」というパフォーマーの方々です。冬の街に青がくっきり目立っていました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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