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事の起こりは、真冬のパリ。
ノートルダム大聖堂で、寒さにふるえていた時の事。日本人の男の人と知り合った。
「トルコは良いですよ〜!物価は安いし、人はみんな親切で、飯までうまい」「一人旅ならトルコです」
一人旅ならトルコ!僕は、真冬のパリで、トルコでくつろぐ夢をみたのだ。それから半年後。僕はこの夏、トルコに出かけた。旅の準備に購入したガイドブックには、確かに、パリのお兄さんが言っていたのと同じ事が書いてある。物価はおよそ日本の五分の一。人はみんな親切で、日本人が街で困っているとすぐに助けに飛んで来る。トルコ料理は安くてうまい。きっと、君の口にも合うだろう。等々。
前回、フランスに旅立つ朝は小雪が舞っており、そしてまた、僕の心にも、怪しい小雪が、ちらりちらりと舞っていたが、今回は違った。快晴である。飛行場の滑走路にはためく小旗を見つめながら、人知れず胸を高鳴らせていたのだ。
パリ同様、イスタンブールに着いたのは深夜であった。が、前回の反省を踏まえ、今回は事前にホテルを予約していた。日本円で、四千円のホテルとは、いったい、どの程度のホテルなのかと不安に思っていたのだが驚いた。ロビーには、シャンデリアが輝いており、階段には赤じゅうたん。そして、こんな私ごときの学生に、なんと、ポーターさんがついてくれて、お部屋に案内してくれるではないか!
ああ! なんと素晴らしい! 初めての一人旅、フランスでの最初の夜が、焦げ茶色の幽霊ホテルであった事を思うと感慨深い。二回目の旅で、流石に要領を得たのか、それとも単に物価の違いと言う恩恵を授かったのか、フカフカのベットに横たわり、こんなにも良いベットに寝たのは、生まれて初めてだな。と思っているうちに眠ってしまった。
そして翌朝、ホテルのバイキングで、あれも食べ、これも食べ、トルコのパンは、柔らかだぞ。と、人知れずもりあがった。結局、この物価の安さが、そのまま旅のしやすさに繋がる。一泊、千円程のホテルにも泊まったが、朝食は、黒海をのぞむ屋上のテラスで食べる事ができて、快適であった。そして、ふりむけば、ブルーモスクがみえたりもするのだ。
トルコでの交通手段は、主にバスであった。日本で言うところの新幹線の役目をバスが担っている。例えば、東京〜京都間ほどの移動が、夜行バスで、およそ二千円程度であったろうか。夜中、バスの前には、人だかりができており、なぜか、みんな泣いている。どうやら、別れのドラマが繰り広げられているらしいのだが、僕は、その間をこのバスでいいのかどうか?と、うろちょろする事になる。
しかし、トルコの人々は、本当に親切であった。娘との別れと思しき、おばあさんや、おじいさんが、涙でぐすんぐすんいいながら、あれに乗れ!いや、あっちだ!と、面倒を見てくれるのだった。今回の旅の目的も、建築を巡る事であったが、さんざん巡ったはずのイスラム建築は、あまり印象に残ってはいない。今となって、頻りと思い出されるのは、やはり、深夜のバスターミナルの喧噪や、イスタンブールの港の風情、ハマムと言う公衆浴場と言った、なにやら、売れない演歌のような情景ばかりで、またも蕭然としてしまう。
旅の終わりは、飛行機の関係で、ギリシャであった。建築を志す者としては、パルテノン神殿で、感動の涙の一つも、流さなくてはならないのだったが、ギリシャでもっとも印象に残っているのは、パルテノン神殿ではなかった。
オリンピック発祥の地と言はれるオリンピア遺跡には、スタディオンと言う、古代からのグランドが残っている。このグランドが、なんと、僕の地元の、田舎中学のグランドと物凄く似ていたのでありました。ギリシャの夏の夕焼けが、南房総の(いつかの)夕焼けに見え、古代ギリシャの英雄達が踏みしめたであろうスタートラインの敷石が、田舎中学の、運動会の前のグランドに引かれた、一本の白線のように見え、懐かしさのあまり、めろめろになってしまった。
そして、何処かの国の若者が, On Your Mark! と、言って、走り出す。
『On Your Mark !!位置について。』なーんて、一人ごとを言いつつ、かなり悦に入りながら、夕焼けのグランドを歩き廻ったのでありました。

ブルーモスクにブルースカイ

イスタンブールの夜は・・・

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スタート?ゴール?
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