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酒井弘子さんの「卓上という空間」は、限定されない、ただ広がりを持つ「場」として、室内や空と重ね合わされている。卓上の静物という古典的題材は、室内の情景あるいは風景画と同じ位相にあるものとして捉えられ、静物であり風景でもあるような両義的な空間にいたっている。
そのことによって何ほどか詩的な情景が表出しているのであるが、そのことに関しては評論家の宝木氏が美しく表現しておられるので、ここではそれを可能にするもの、それを実現する具体的な方法について考えてみると、ベン・ニコルソンなどの造形的キュビスムによっているように思われた。
形態からボリュームを消し去り、「像」としてあつかい、それらを並置したり重ね合わせたりすることで、遠近、透明感などを非現実的に表現できるし、その過程において図と地の関係を逆転することが可能となる。さほど描かれていない図よりも、地のほうに積極的に筆を入れられることがあるのはこのことに起因すると思う。
観者は卓上に置かれた鰈やコーヒーカップに眼がいくだろうが、おそらく作家がいちばん苦労するところはそれを支えるテーブルの様態であろうと思う。90年代の丸テーブルや四角いテーブルの特徴をしめすような構成や、キャンバスの矩形に起因する垂直水平の分割によるテーブルの暗示などの構成が影をひそめ、近年では矩形そのものを感じさせないような、ただ色彩の広がりのみを感じさせるようなものになっている。
そのことによって卓上の物たちはよりそのデイテールを失い、全体としての画面はいっそう平面的になったと思う。こうして生み出された近作はとてもすがすがしい、あっさりとした空間を醸し出していた。
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