Atelier Sagan
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美術エッセイ
「絵画を観ることについて」/柴村純一

 絵画を観るとは、とりもなおさずその作品への関心の有無が発端である。関心無き作品の鑑賞はあまり意味をなさず、それはただ眼に映っただけということになる。

  そこで自分が魅力を感じる作品を観てみる。くりかえしその作品や周辺の作家のものを観るにつけ、当初自分が感じていたものがなんであったのかが曖昧になり、作品は観者の期待を裏切ってゆくことになるだろう。

  というのは、「絵画を観る」とはかならずしもその作品そのものを知るということに繋がらないからである。同じように作者の生涯やその交友関係などをいくら調べても、それだけでは画家の芸術の本質に触れることはできないだろう。それどころか、そのことに固執すればそれは支障となる他はない。

  絵画を観てもその作者の人生を調べてもその本質に触れることができないとするならば、鑑賞者は途方にくれなければならないのだろうか。あたりまえのことかも知れないが、やはり腑に落ちるまで知ってゆくしかないのだろう。

繰り返しになるが、絵画を観るとはどのようなことかを知る必要がある。絵画を観ることであきらかになることとは、むしろ自分のその作品に対する関心の顕在化なのであり、その作品そのものが顕わになるのではないということを知るべきである。

  絵画は、みずからを観者の目前にさらしているにもかかわらず、なにものをも観者に向かって表明することはないのだ。それゆえ「観る」とは、「自分がこの作品に抱いた関心」を理解してゆく作業からはじまると言ってもいいだろう。その過程で、その時代の他の作家との影響関係も理解される。

  しかる後にもう一度その作品と対面したとき、以前自分を魅了していたその姿は、自らのその作品に対する関心の強さがつくりだした要素により彩られていたことに気づくだろう。

  そういった作業がくりかえされることによって、当の作品そのものに近づくことになる。当然その作品は以前とは違って見えてくる。そのようにして、絵画は徐々にその姿を顕わにするのである。




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