Atelier Sagan
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エッセイ
「自分は自分の絵を見ることができるか」/柴村純一

 林檎の周辺

 セザンヌの林檎の絵にあやかりたいと僕も林檎を描いてみる。
 それなりにまるみがでて林檎らしくなったのだが何かが違う。画集をめくっているとマネの林檎の小品が目にとまる。マネの林檎も同じようにまるみが感じられるのだがやはり何かが違う。セザンヌの林檎は彫刻的な量塊を感じさせる。他の印象派の画家の林檎も自然な立体感を感じはするが、セザンヌのそれとはまったく異質なものである。そのことが以前から気にかかっていた。

 よく言われることに「セザンヌの林檎はテーブルから転げ落ちそうだ」というのがある。その理由としてあげられるのがテーブルの傾きや多焦点の絵画構造などだが、林檎の彫刻的なボリュームもそのことの大きな要因であることはあまり指摘されない。

 ボリュームを備えた彫刻的なものとして林檎を描けば同時にその周辺に回り込んでゆく奥行きが発生することになる。そのバックを暗く描けば自然な奥行きが表現される。ところが白い卓布の上のセザンヌの林檎はそういった自然な奥行きがない。

  林檎はボリュームを持ってはいるが、青い輪郭線によって周囲から切り取られ、その背景との関係は古典的な、いや他の印象派の画家と比較しても不自然である。にもかかわらず画面全体として眺めたときその林檎はそれ以前のどの作品をも凌駕するレアリテを獲得している。全体を支配している構造がそのような不自然さを越えて新しい絵画空間を獲得した。




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