<12月>
「芸術はバクハツだ!」「ゲージツはウンコだ!」などといろんな方々が異口同様に叫んだり、つぶやいていたりします。これらは見当違いの発言というより、けっこう本質を言い得ています。取りつくろう飾りをすてて、自らの内面を表現しようとの意味でしょう。作品を語るときに、アイデンティティー(独自性,主体性,本性;
帰属意識)を持ちだすことが多々ありますが、これも作品と自身の同一性を見極めることにあります。
さて、サガンにおいて。素人だ、初心者だ、アマチュアだと言っても、作品を作る上では、その同一性は避けて通ることはできないはずです。それを避けてしまえば、巷のカルチャーの習い事に過ぎません。出来る出来ないではなく、その気持ちが必要ということです。
皆さんの作品は、自分の分身です。それを認めることが出来ない方は表面を取りつくろっているのでしょう。作品をサガンのゴミ箱に捨てていくのは、自分を捨てていくことです。僕はゴミ箱の中の作品を見るととても悲しい気分になります。汚れたパンツを人様の家のゴミ箱に捨てていくようなもの、作品は自らの手によって処分してほしい。
屋上の作品置き場には、制作中ではない、忘れて放置されたものがたくさんあります。これも人様のお風呂を借りて、汚れたパンツを脱衣かごに忘れてくるようなもの。とても恥ずかしいことではありませんか?
整理整頓という観点ではなく、自ら生み出した作品の処し方ということで考えると、物を作り出すのと同じく、後始末のつけ方というのが大切だと、つくづく作り手として思うわけです。
年末の大掃除があります。皆さんの気持ちをください、よろしくお願いします。
(サカイ)
<11月>
決算大バーゲンが終わり、秋本番となりました。 企業は、その決算を経て黒字だ赤字だと奔走し、自らの家計も赤字続きだと嘆いたりします。要するにプラス・マイナスは生活する中で多々あります。教室内でも、描いたり消したりという行為が繰り返され、まさにプラス・マイナス。鉛筆デッサンで、鉛筆で黒々と塗りつぶされた紙を渡され、「ハイ、描いてください」と指示されたとしたらどうしますか?練りゴムという消しゴムで、明るいところを掘り起こすように描いていくことになります。ということは、練りゴムは消す道具ではなくて描く道具ですよね。
中学に進学して、算数から数学になったときに、3-2=1が3+(-2)=1となり、なんで引くものをわざわざ足さなきゃならないのだ?と疑問でした。引くという行為より数字自体に意味があるということですよね。描く行為はたえず+++の積み重ねですが、[プラスの描く]と[マイナスの描く]が+++と積み重なっていくことです。
みなさんも、どんどんキャンバスの絵の具が厚みを増し、それと反して制作意欲が減少していく経験があることと思います。前月号でお話しした「描きすぎてボツになる絵」は、まさしくマイナスの描写意識の欠如ということです。初心者はとくに、プラスとマイナスの振幅と回数を増やすことを勧めます。そのことが経験となり、自信をもって絵の具を置くことになるのですから。
初心者に勧めておいて、未だにプラスマイナスのさじ加減に苦労しているサカイが個展を開催します。お時間がありましたら、ご高覧の上ご批評よろしくお願いします。詳細は下記サイトにて。
http://www.a-paguro.com/
(サカイ記)
<10月>
11月21日から開催する個展の作品制作を先月末で終えました。ちょうど2ヶ月前ということになります。搬入当日まで描き続ける作家も多々いるなか、なぜこんなにはやくやめてしまうのか?それは「その作品は仕上がっているか?」というタイトルで、柴村講師がサガンのホームページにエッセイを書いていることにあります。
http://www.a-sagan.com/sagan_main/exhibitionreviewssiba_0608.html
「その作品は仕上がっているか?」は、どんどん作品が悪くなっていって、初めてあのときにやめておけばよかったと気づきます。どんなに経験を積んでもしくじります。軽やかなイメージを求めているのに、どんどん厚塗り重厚な絵になっては、気持ちも悪くなり、鬱々な状態になります。
やらないで後悔するより、やって後悔する方がまだましということで、作り手はアリ地獄の中心にはまっていきます。そこで、僕はこれを回避するために、自らに期日を指定するようになり、さらに予備の作品を用意するようになりました。でも、なんぼ短い時間に自らを縛っても、その中でさらに手を加え、悪戦苦闘し、仕上がっている絵をどんどん壊すことになります。
うんざりです。描き始めはあんなにたのしいのに・・・。
では、描き始めの絵はなぜいいのか?
1,描きたい対象がダイレクトに現れている。
2,白地のキャンバスが絵の具のもつ輝きを引き立たせる。
3,よけいなことをしていない。
4,なによりも自分自身が新鮮。
5,勢いがある。
ということで、だからそれでやめればいいのだが・・・。
素描はいい状況で筆を終えることが出来るので大好き。しかしキャンバスなどしっかりとした支持体に描き始めると、どうしてできないのか? 以前、マチス展での出来事です。お父さんが子供に「このような塗り残しはいかん!」と訓辞をたれていたのです。バカなことをいわんでちょうだいと思っても、同じ狢の教育のもと、目くそ鼻くそを笑うとはこのことだと思う。
今回の作品もすでに描き始めのよさは遠く彼方へ。展覧会前は出品作品のことは忘れ、雑用をこなしながら次の作品を手がけます。会場の作品は過去のことと理解でき、まことに平常心で会期を迎えることになります。なにごとも前倒し、100利あって1害なし。
(サカイ記)
<9月>
昨夜は激しい雷雨、夏の熱気を一気にさらい秋が顔を覗かせる。
ただこの秋がくせ者で、芸術の秋などと呼ばれて久しいが確かに美術館なども企画展などが続く。公募展に所属している二科展の野村講師、主体展の私は秋一番の展覧会のふれこみの下、皆さんが海だ山だお墓参りだと出歩くのを尻目に、色だ、形だ、構図だ「ダメだー」と雄叫びあげて毎夏を過ごしています。
ですから、秋の作品と言うより猛暑をくぐり抜けた作品が並んでいるわけです。公募展の賛否はいろいろあります。私も出品の動機はもちろんありますが、年一回必ず大作を描く事は制作を続けるなかでとても重要でもあります。100号以上の作品は体で描かなければ先に進めません。画面の前ではキャンバスの断面があるばかり、緩急をつけて筆を走らせ、解体と構成を繰り返す。予定調和にならない様にと。
そして搬入日を迎える。展覧会終了間近になってやっと頭と体の熱がおさまり夏が終わる。私の冒頭文もこれで最終回、皆さん秋の味覚楽しんで下さい。
(齋藤記)
<8月>
梅雨が明けになった途端に台風が発生したりと8月も慌ただしいですね。温暖化というより赤道が近づいていると思ったほうが納得でき、ゴーギャンの作品が身近に感じるこの頃です。
前回に続きまして、昨年より開催している齋藤クラス会員主催の院内グループ展について記してみたいと思います。病院という特殊なスペースでの展示なので、それぞれが自主的に下見し、自作を吟味選択し、搬出入 展示及びキャプション作成など各人がいかに主体的に展覧会と関わり持ちつつ、どう緊張した空間に展開していけるか、特に医療現場の妨げにならないという事もあり各人が展示に於ける責任が問われるものになりました。
期間はまず1年。3ヵ月を1クールに展示を変え、メンバーを固定せずに続けています。展示場所は診察室、検査室、通路で病棟には展示していません。現在は賛同してくれている作家の作品も含め100点を越えております。
この展示においては特に下見が大切で非常に綺麗な病院ですが、地下の検査室、狭い待合室など閉じた空間もあり、まず自身が体験しなければ参加できないのがただ一つの条件になっています。そしてありのままの作品を飾るのが好ましいという方向で各人が作品を選択しています。また、通常と異なるのはキャプションに作品のコメントを一言付け加えたりもしております。
3クール目に入り展示も安定して来ました。特に閉じられた空間が絵画の照射によって変化する様は絵画の可能性を改めて感じさせらます。展示作業が終わりに近づくと入院患者さんが家族とコメントを読みながらゆっくりと作品を見て回っている姿を見るにつけ、作品、展示の表現の切り口は決して一つではなく多面的であると実感します。
今はまだ実験的な展覧会で試行錯誤の繰り返しですが、今後も継続を望まれていますのできっといろいろなアイデアも取り入れて動いている展示になればと期待しています。お時間があればちょっと覗いて頂ければと思っております。
(齋藤記)
<7月>
今月から齋藤が担当します。w杯の熱気も醒め期待の青きサムライも青白きサムライで舞い戻りやれやれでしたね。
1年半ぶりのサガン展如何でしたか?今回も130点以上の作品が並び、程よい緊張と落ち着きが会場を満たしてしていたと思います。我々スタッフも会場のそれぞれの壁が同じ密度、心地よいリズムを奏でる様陳列作業にあたりました。
アトリエでは出来立ての湯気があがっていた作品も、以前から仕上がっていた様に見えるのが不思議。印象的だったのは開館から閉館まで毎日受付を担当していた高橋さんの言葉。
『気持ちいいですよ、ここにいると。時間が経つにつれていいなと思う作品があるのですね』実感のこもった言葉、現在のサガン展の何かが窺える。
展覧会で思い出したが以前は安井賞展という画家の登竜門のコンクールがあった、何回続いたか覚えていないが、戦後抽象主義が大旋風になり具象絵画の危機を救う為に始まった展覧会と聞く。
毎年グランプリに輝いた作品をみていたが、当初の目的が達成されたと最終回には1回目からの受賞作品がずらりと並んでいた。最もこの最終回で光っていたのは安井曾太郎の作品であった。そして、以前には刺激的だと思った作品が引っかからない。
時間や時代が作品を検証していく、普遍性を伴った作品は,どの時代にでも自立してそこに在る。制作にも鑑賞にも作品にむける意識した眼差し、展覧会はその入り口になる。
(齋藤記)
<6月>
日記より「恩師の言葉」
今日、習作を一点ものにした。例によってたいしたものではないのだが、それでもめったにあることではないので気分がいい。過去の失敗作もそれなりに意味あるものとして見えてくるから不思議なものだ。それも長続きするものではなく、明日になれば不満がつのるのはいつものことなのだが、、、。
最近、高校時代の恩師が亡くなった。放任主義でとくに指導はしないが、一日の制作が終了した夕方、講評会だけは欠かさず開催する先生だった。研究所は北窓しかなく、いつも自然光で描いていた。「講評会でーす。」と先生の声が聞こえる頃は、陽もとっぷりと暮れ、点灯した照明のまぶしさに眼をほそめることもすくなくなかった。
講評の熱が入ってくるころ、先生の口から興味深い言葉がこぼれることがあった。「うまくいった作品を自分で受け入れることは簡単だが、君たちは作家になるのだから長い制作の過程でうまくいかなくなる時がかならず来る。その時の作品をも、自分の生み出した作品であると受け入れることだ。」
そういった言葉の意味を高校生の自分がわかるはずもないのだが不思議とおぼえている。あれから30年近い年月をへた今、それらの言葉が自分に語りかけてきてその意味を証してくれる。先生の言葉は僕の中でその意味を成すまで長いあいだ眠っていたわけだが、人間の記憶とはそのようなことのためにあるのかも知れない。
(柴村記)
<5月>
今日、かかりつけのセラピストとはじめて箱庭療法なるものをやってみた。
ひとかかえもある丈の浅い箱に、砂をたっぷりと満たしてある。砂をかきわけると水が現れる。箱の内側はトルコブルーのような色で塗られているのだ。
棚にはありとあらゆるオブジェたち。小さな家、天使、椅子、モスラの幼虫、ゴム製のへび、マリア様、戦艦、その他いろいろ。20分ほどで完成。イスに座って横から眺めると何かしら風景のように見えておもしろい。
天使を頭から砂に埋めたり、北の極に時計を置いたり、でたらめなことをやって出来上がった世界はそれでも言うに言われぬ調子が流れていて無作為に投げ入れたものとは異質なもののように思えた。断片的ではあっても、それらが砂や青い水によって連結されて、ひとつの流れができている。
しばらく眺めていて、理由はわからないが夢に似ていると思った。
後で考えたことなのだが、夢を思い出すとき、断片的な場面ばかりが強調されて印象に残っていることが多々あるが、にも関わらずその夢はその夢独特の調子が流れていることが以前から気になっていた。そういった夢の背景に流れる調子というものと、箱庭の断片的なイメージを結びつける砂や青い水は、「媒体」のような役目を担っているところで共通しているように思われた。
(柴村記)
<4月>
昔の日記より「かたち」と「表情」について
以前、亡くなった知人の顔を拝んだときのこと、瞬間、その人だとわからなかった。 文字通り「顔かたち」はその人にちがいないのにもかかわらず、「死に顔」を支配しているなにか異様な雰囲気に驚いたようなところがあったのかも知れない。
このことは高校生の頃、通っていた美術研究所のイベントでライフマスクを取ったときのことを思い出させた。 あおむけになって、鼻に呼吸用のくだをつけて離形剤(ワセリンなど)を塗って石膏でかたをとるのだ。
ところができあがった真っ白なマスクは自分の顔と違うように思えた。
ただ、石膏が固まるまでのあいだ、息苦しかったことなどを思い出すと、不思議と「その時の顔だ」と納得がいくのだった。
このふたつの体験に共通なことは「生きている顔」から「形」だけをぬきとったものは本来の顔とは違うものになってしまうということだろうか。「かたち」に先立つものとして「表情」というものがあるのか。
人であふれかえる街中で知人を見分けるのは簡単だが、たくさんの死体の中から目当ての人をみつけるのは困難なのかも知れない。
(柴村記)
<3月>
ようやくの暖かな陽射しに、猫もデッキで日向ぼっこ。
むんずと捕まえてブラッシングをすると、驚くほどの毛がとれて、猫も私も少し薄着 になりました。
卵からかえったばかりのひなは、初めて目にする動くものを、それが何であれ母親と 認識し、終生訂正できない、、動物行動学のロレンツ博士の、鳥の学習機能<刷り込み>の理論です。
雛鳥画学生であった私の<刷り込み>の話。
好意的な批評を受け、礼をいって女生徒が立ち去るや、見学の私たちに向き直り、にやりと笑って、女の子にはアレで良いやね!と ぺろりと舌を出しされた森芳夫先生。以来、好意的な作品批評は、全く信用できなくなりました。
もし誉められるようなことがあれば、愕然として不安になってしまうこと。 後陣の作家達の個展案内状を指しながら、ご高覧のうえ批評してくれ、などと呼びつ
けるなんて失礼だね!とおっしゃった森芳夫先生。 以来、目上の方、先輩、又は誰に依らず、展覧会の案内状を出すことを躊躇してしま う様になりました。
案内状もよこさない失礼なヤツだと言われても。出しても、出さなくても失礼なジレンマを如何にせん。
森芳夫先生は、美大の1,2年時の指導教授でした。 元より教育が本分ではない、個性の強い絵描である教授達は、受け身の指導を甘えるような学生を相手にするはずもなく、殊に森先生の厳しいデリカシーは、分かり難い、皮肉でシニカルな鎧をまとっているようでした。
作家から学び取るだけの力量もなく、自我ばかりの生意気で稚拙な学生に、素朴なシ ョックが奇妙な<刷り込み>となったようです。
学びとる、と言うことは主体的な力量の問題です。 記憶は選択できない。遺憾ながら不足ばかりを想う、、春なのに。
(野村記)
<2月>
猫科に辛い2月です。
大寒波、豪雪の被害のニュース続きに、もう雪も寒さも堪能しきって、少しでも暖かな春の気配を切に待ちかねています。
しかし、気温が上がり始めると、あの豪雪はただ消えて無くなるのではなく、新たな危険に変わる厳しい事態も知りました。
東京生まれ、東京育ちで、帰郷する古里、案ずる国元もない私は、例えば、白い起伏に重く被われて、反射光を光源に、雪の虜囚として閉ざされる、、他ならぬその土地に生きるとは、どんなことだろうと、様々思いを馳せてニュース画面を見てしまいました。
思い返せば、子供の頃の東京も寒かった。洗面器に張った氷を割り、湯たんぽの湯で顔を洗い、つららを折りながら、霜柱をざくざく踏んで学校へ行く朝。ある冬に、建設途中で未完の父のアトリエで寝かされ、枕元まで吹き込み積もった雪の雪かきの音で目覚めたこと、、、これは昭和30年代の六本木の話です。
六本木ヒルズはバベルの塔の様にそびえ、表参道ヒルズにソドムの虚飾の市を思い、かの地のある時代を思い出の地とする身には、やや哀しい変貌でもあるわけです。揺籃の地の記憶、時代や風景の質が、原風景というか、離れがたいあるイメージを構
成するとすれば、刻々に風景を解体し、増殖する東京の昨今の風景のもたらす感性は、今やどの様なものなのでしょう。
あらかじめ失われた風景を古里とする東京人の私は、都市生活の者の傲慢を省みつつも、つらつら思うことでした。
(野村記)
<1月>
ことさらに寒さが厳しく感じられるのこの冬ですが、サガン会員の皆様には、如何、お正月を過ごされましたでしょうか。どうぞ、今年も1年、健康で心穏やかに過ごせる日々でありますように!
さて、今まで、サカイ講師の責任監修の配信に頼るままのサガンメールでしたが、今年から、知識と技術の如何に関わらず、高橋さん編集のもと、冒頭ご挨拶も各講師
待ち周りで参加させていただくことになりました。
1,2,3月サガンメールでご挨拶することになりましたのは、早寝早起きのサカイ講師の対極で、早朝ランニングも、計画を立てることも、お尻を振って歩くことも、全く致しません、夜行性、冬眠体質の木曜日担当講師、野村です。
夜更けて訪れる思念の翼を待って、曙光とともに霧散するまで、、、夜中に制作した作品の徒労に終わる結果に愕然としながら、それでも、深夜のったった一人感が好きです。
ちょっと新年の新聞に拾った、今年企画の展覧会情報で、個人的に興味のあるところ。
@田淵安一展 かたちの始まり、あふれる光 4月8日〜5月21日
@ジャコメッティ展 矢内原像油彩7点、胸像彫刻を含む100点以上の展示 6月3日〜7月30日
※ともに神奈川県立美術館(葉山)
(野村記)
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