先月母は104才を迎えた。毎月姉と共に、あずけている介護ホームから3泊で姉の家に母を連れ帰っていたのだが、今回はこども4名総員が姉の家につどい誕生を祝った。弟たちが帰り、母をs苑に送ると、いつものようにわたくしが更に2泊母の部屋ですごして帰宅した。母の自立が心許なくなり出してからもう8年、S苑のお世話になりだして5年。夫とサガン、スタッフの理解と協力あってこそ続けられた毎月行事であった。
そして帰宅した翌朝の事である、母が部屋で転んでいたと主任さんからの連絡が入った。「いつも高橋さんの帰宅後は興奮されていて、良く動かれるから気をつけることにしていたのに」と自分を責めた苦しげな報告だった。
気持ちは本当に嬉しいが「いいえ、心も体もあんなによろよろと危なげな母を、いつも自室内で自由に過ごさせ、見守って頂いた。おかげで人間らし生活を続けて来られたんです。何時かは来るそのときが来たに過ぎない。母がもっとも手の掛かる入居者であることはこども一同身を以て理解してたことだから」と述べ病院での診察結果を待つことにした。そして正午ごろ、最悪の結果だったと大腿骨骨折の知らせを受けたのであった。
ためらっていた姉に、行けるときにいってらっしゃいと中国の奥地行きを進め、旅立ったその日の事であった。上の弟は病後でとても看護はできないし、下の弟も他医が入院中で自院の診察担当を外すわけにはいかない。入院手続きほか急を要する。ともかくわたくしは大阪へとんぼ帰りをした。
夜7時すぎ病室に入ったらs苑の主任さんは母のそばに付いて待っていて下さった。彼女が「来られるまでついています」と言って下さったことでその間どれほどに心強かったことか・・・。 彼女は母の言葉を家族にお伝えしておきたいと前置きをすると、母がずっと自室に帰りたいと言っていたこと、さらに母の言葉を借りると最後はs苑で死にたいと言っていたそうである。涙をにじませて伝えてくれる主任さんに深い謝意をのべて、担当医の説明をともに聞いて貰うことにした。
1つ、手術を受け順当な回復をみれば、又いままでのような生活に戻れる可能性が大きい。ただしなにぶんにも高齢であるから術前、中、後いかなる事態が生ずるかは分からない(当方も勿論それは日常の心得となっている。さよならの都度、これが最後かも?と母をみつめるのだ)検査結果では手術を受けられる状態にある。術後は翌日から車いすに乗って頂く。
2つ、手術を受けない場合は自然癒着を待つわけで、時が掛かり必ず寝たきりになってしまう。また、痛みがのこることになる。
手術日の確保のため、翌朝までの返答が必要だった。弟と電話で相談する。意見はやはり一致した。手術をうけ今までの状態にもどるのは奇跡的にも思えるが、もし回復した場合、さらにs苑に負担を掛けることが予想される。心苦しいことだ。手術うけるのは初めてだが、いままでに母は奇跡的な回復を2度も果たしている。しかし受けずに寝たきりの道を行き、さらに足の痛みが残るのはむごいことだ。母が正気であったならやはり手術を受けると言うであろう。(手術をして貰おう!)が結論だった。
翌朝S苑のスタッフに了解を求めた。暖かく、頼もしい同意を受ける事が出来て胸に沁みる。
姉の負担を見かねて母を預けることにした時、いろいろ見学し、検討した末に選んだ介護付き有料ホームだった。s苑にして本当に良かった!仕事とは言え、介護の現場はどんなに大変か!!年ごとに手の掛かる母を通して、また入居者全般を通してわたくしもこの5年間でよく理解してきたつもりだ。プロ意識に加えてハート・志といったものがなくてはとても続けて行けない厳しい世界だと感じている。
医局に受術の申し出でを済ませ、正気と落ち着きをだいぶ取り戻していた母にも2つある選択の道を丁寧に説明する。「手術を受ける」はっきりとした意思表示だった。ほっとする。「だから体力をつけないと、すこしでもご飯を食べましょうね」激励に応えようと頑張るのが痛ましい。
日曜日弟が来てくれた、やはり嬉しく心強い。夜なんとしたことか、と言うか相変わらずのドジを踏んでしまった。後を弟に託して新大阪駅に向かう車中で時刻表を見誤り、最終便に乗り遅れたと思い込んだのだ。弟に同じホテルの一部屋を確保してもらうようtelを済ませると、翌日予定の出勤日の振り替えを講師に依頼する。夫にも詫びのtelがもちろん必要だ。いずれも無事おわった。(翌日勘違いが判明)
そうと決まると開き直り、立ち直るのがわたくしの長所or欠点である。幾日かぶりのゆっくりとした夕食を弟にご馳走になる。そのなかで昼の言葉を反芻して言われた。(翌夜姉は帰国し3日後には手術予定だが、姉はむろん、わたくしも母の看護にとんぼ返りの繰り返しなど、無理をしないように)との注意であった。母のためにわれわれの老体、そしてその家族が弱ってしまうのは本末転倒だ。みんなこれまでずいぶん頑張ってきた。けれどもう、今までのように奇跡は望むまいとの趣旨なのだ。
そう、来るべき、その時が来たにすぎないのだ。よくぞこれまで来たものだ、とも思う。なかでも一番大変なのは、やはり日々ひたすらに(自分の事は自分で)と本能と化した自立心で頑張っている母本人であろう。でも深刻に考えてしまってははいけない。わが家族のこの8年は、どこにでもある、誰もが味わう生活のひとこまに過ぎない。人は辛いとき、憂鬱にあるときどうしても自己とその周辺に想いが囚われてしまい勝ちだ。けれどこんな時代だ。少し目を転じると、辛いのは、淋しいのはほとんどすべての人々なのだ。老人が生き辛いのも事実だが、若者も長い未来が厳しさに晒されているのが現実だ。もの思う人も思わざる人も、ほとんど統べての人々が痛みを抱えていると言って良いであろう。その中にあってすこしでも客観的、俯瞰的にありたいものだ。そう、まずは自身と夫の体力維持が基本だ。そして弟に、白内障の手術日を控えた夫が術後も落ち着くまでは家を離れないことに同意する。
そんな事があってもう2週間。母は無事手術を乗り越えた。術後も順調で信じられないことに104才の人に対してもリハビリは翌日から予定通りはじまったのである。術後の早朝、寝ていることは機能を衰えさせる。とくに肺炎などを起こす怖れがあるからと、痛がる母を男性の介護士が実に上手にあっと言う間に抱きかかえて車椅子に乗せてくれたそうだ。トイレも抱えて座らせてもらうそう。姉から聞き及んだが、精神科医の弟も現代の医療現場におどろきを隠せない。
民間会社の出張介護も利用して乗り切っているが、もう退院の予定日も決まった。暖かく退院を待ってくださるs苑に帰るのだが、あらたな覚悟も必要なようだ。すでに大分頭の衰ている母は、自身の立場、能力をわきまえることが出来ない。以前同様本能的に排泄、歯磨き、洗顔その他を自身で行おうとするであろう。そのプライドこそが今まで母を支えて来た原動力だったのだが・・・。
なまじリハビリによって室内での自由な行動を起こせるようになったら4-6時中目の離せない事になる。われわれこども達で常なる介護はできないし、膨大な費用を要するフルタイム出張介護なんてとても考えられない。するとs苑スタッフの負担増加はいかばかりか?介護付き有料ホームとは言え、常なる見守りが無理なのは当然である。したがって再々度起こりうる事故の心配、弊害!あぁ
母は昔からけっして人付き合いの上手な人ではない。今も心身の弱った他の入居者の方々が集うルームでの団らんなどに加わろうとはしない。ひとり部屋に過ごすほうを好むのである。これは母の個性であるから致し方ない。ホームで長い時間をともに過ごしたいと思える友に巡り会えたらほんとうに幸せなのだが、わたくし自身の問題として考えても、これはほとんど僥倖ともいえる幸運であろう想像する。
と言うわけであらたな悩みを抱えてしまった。今までも率直を心掛けてきたが、S苑スタッフの方々と肚を割った、本音での相談が早々に必要だと姉弟で話し合っている。そして実はそのことに心悩み、痛む日々でもある。しかし前記したようにこの悩みはほんの小さい悩みでもあるとも考えるのである。
むかし、そう母がまだ60代後半のころ、たしかTBSラジオ局の投稿に応募して入選したことがあった。(老後はこども達に凭り掛かりたくない、そんな人々のための軽費な老人ホームの設立を国に希む)と言った趣旨の文だったと記憶している。その母は心懸け良くせっせと貯金もしていた。S苑の入居金はそのお金で支払った。以来5年、その資金と弟からの援助で来たが、無くなったらこども達で持とうと決めている。こんな時代である、まずは経済的心配が無いことをなによりの幸せと思わねばいけないであろう。心懸けの悪いわたくしはしみじみとそれを感謝する。
さくらの季節、華やぎのなかに憂いを見るのは毎年の習わし。満開のさくらの花が秘めている死や滅びの予感。凋落の美。それゆえにこそ、深くこころ惹かれるのであろう。永遠なるものなんて何処にもない。すべては、たゆたいつつ流れ行き、去るのである。
母のうつくしかった時、強かった時、楽しかった時、それはわたくしの心にいまも輝きをもってよみがえる。「そう、憶えていますよお母さん。みんなもきっとそうですよ」窓外に望む遠い春霞のさくら並木に向かってわたくしは語りかけてみる。